インパール作戦では60キロに 白骨街道歩いた元通信兵が語る「装備」

西日本新聞 筑豊版

モノが語る戦争 嘉麻市碓井平和祈念館から(10)

 携帯用の天幕、鉄兜(てつかぶと)、水筒などをくくり付けた大きな布製のかばん「背嚢(はいのう)」には、兵1人の戦場での生活に必要な品々すべてが入っている。飯盒(はんごう)、飯椀(めしわん)、汁椀(しるわん)等の食器類や炊事具、乾パン、乾飯(かれいい)などの携帯用の糧食、軍足(靴下)、襦袢(じゅばん)、三角巾などの衣類、衛生用品など日常の生活用具に加え、小円匙(しょうえんぴ)(小型のシャベル)など野営地や進路を切り開くための土工器材や兵器も持ち歩く。旧日本陸軍の歩兵が標準的に用いた三八式歩兵銃は銃剣を取り付けると長さは160センチ、重さは4キロを超える。携帯する装備品一式の重量は数十キロになる。

 さらに、兵種によって野砲、高射砲などの大型の火器・弾薬、工兵の器材、通信兵の通信機器などさまざまな部隊の兵器もある。兵たちは個人の装備に加えて部隊の装備品も運ばなければならない。

 戦場で多くの兵の移動手段は徒歩である。橋のない大河を歩き渡り、道なき道を進むこともある。険しい山地を踏破しなければならないこともある。炎天下、極寒の地、雨風や雪に悩まされることもある。

 1944(昭和19)年のインパール作戦に通信兵として従軍し、ビルマ(現ミャンマー)からインド東北部コヒマまで行軍した古賀彌吉(嘉麻市出身)は、「川幅が700メートルぐらいの橋も何もない川を渡って、コヒマまで行く間では3千メートル級の山々がずらーっとつながっており、山を越して行く戦闘です。20日分の糧秣(りょうまつ)(食糧)、小銃弾240発と手榴弾(しゅりゅうだん)6発の弾薬、それにいろんな通信機材を担ぎ、60キロぐらいの重さになるんです。腰掛けて休憩したら立ち上がりきらんです」と語った。休憩は寄りかかって立ったまま。それでも行きはまだよかった。

 糧秣弾薬は担いでいった分だけで後の支援は得られなかった。連れて行った牛は川に流され、糧秣が尽きてからは飢えや感染症と戦いながら、降り続く雨の中を敵に追われ敗走した。後に白骨街道といわれるようになった退路を古賀は負傷しながら必死に歩き続け、何とか生き延びた。

(嘉麻市碓井平和祈念館学芸員 青山英子)

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 嘉麻市碓井平和祈念館が収蔵する戦争資料を学芸員の青山英子さんが紹介します。

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