あの日、何を報じたか1945/6/10【戦争保険金の支払い 銀行の窓口を通じて迅速化】西日本新聞の紙面から

西日本新聞 福間 慎一

 〈屡次(るじ)の戦災で罹災者は激増している半面、保険会社の極端な手不足のため戦争保険金の支払いは相当遅延せざるを得ない実情で、この結果、罹災者を保険金受け取りのためいたずらに戦災地に足止めして地方疎開戦列復帰を遅延せしめている原因の一つになっている。大蔵省では今回従来の保険会社の窓口のほか、銀行の窓口をも戦争保険金の支払いに動員することとなり、全国金融統制会をして手配せしめることになった〉

 全てが「戦争のため」にと位置づけられた当時の日常では、都市部からの避難でさえ「疎開戦列」と表現されていた。保険金の支払いが疎開を阻害する状況に警鐘を鳴らす記事では、銀行窓口で支払われる戦争保険金について次のように説明している。

 〈一、住宅(店舗併用を含む)または家財の全焼全壊の場合に限る 二、保険証券一通につき3千円を現金で内払いする 三、残余の保険金は罹災者が疎開先の最寄り保険会社に保険証券を提示、査定を受け便宜の銀行で残りの分につき現金支払いと特殊預金の設定を受けられる〉

 ただし、記事はこう続く。

 〈この措置は急速に実施されるが地方各銀行の末端まで趣旨を徹底せしめるのに多少日時を要するので、とりあえず十三日から東京都内の主要銀行に取り扱わせ、すみやかに地方に浸透せしむることになっている〉

 さらに激化していく空襲や終戦の混乱を思えば、保険金を受け取ることができなかった人は少なくないだろう。(福間慎一)

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