1世紀前の惨状を読む

 第1次大戦中に世界を襲い、この戦争を終結へと向かわせたスペイン風邪は、九州でも猛威を振るった。

 1918年11月の福岡日日新聞(西日本新聞の前身)は、福岡県下の炭鉱が従業員の感染によって採炭量が激減し、軍隊の兵営や、刑務所にも患者が続出した惨状を報じている。「密」の場の被害は深刻だった。

 また鹿児島新聞(南日本新聞の前身)も、遺骨を持って神戸から鹿児島へ戻る乗客が車中で死亡した事件を報じた。翌日の11月7日には、新聞社内に感染者が多発したため紙面を4ページに減らす社告が出た。

 そうした記録を1世紀前の紙面で読み返し、慶応大の速水融(あきら)名誉教授が14年前にまとめた労作が「日本を襲ったスペイン・インフルエンザ 人類とウイルスの第一次世界戦争」(藤原書店)だ。速水さんの専門は歴史人口学と日本経済史。今、教え子の歴史家磯田道史さんが強く推す一冊だ。

 不思議な話だが、スペイン風邪による当時の日本の様子を深掘りした本はそれまでに一冊もなかったという。感染爆発は深刻だったにもかかわらず、新聞や作家の文章を除いて、一般向けに教訓として残ったものは乏しかった時代で、これが世間の忘却を招いた。

 速水さんは昨年12月に90歳で他界した。存命ならば感染症は「第2波」こそが心配だと、自らの本を手に訴えていたことだろう。

 インフルエンザのスペイン風邪が「かぜ」と呼ばれて、ウイルスの存在も知られていなかった当時、行政にはマスク着用と人混みを避ける呼びかけをする程度しか手はなかった。速水さんは当時の統計にも疑問の目を向け、内務省発表で約39万人とされた日本内地の死亡者数は、実際は45万3千人だったと推計する。

 一方で、速水さんは当時の日本が統治した朝鮮や台湾などの様子も検証している。被害の大きかった朝鮮は、寒冷な上に庶民が暖房の燃料に事欠いたことがあったのではと考察する。

 京都大准教授の藤原辰史さん(農業史、環境史)は速水さんの本には、歴史研究者が見落としてきた重い要素があると説く。スペイン風邪による庶民の困窮は、朝鮮半島での三・一独立運動につながり、同じく内地では米騒動の爆発的な広がりを招いた可能性があると指摘するのだ。(Eテレの視点・論点「新型コロナウイルス スペインかぜからの教訓」より)

 速水さんの「日本を襲ったスペイン・インフルエンザ」は約480ページ。かなり歯応えある本だが貴重な統計や、海外を航海中に感染が広がって多数の犠牲者が出た軍艦「矢矧(やはぎ)」の日誌も収めている。税別で4200円。コロナ禍の中で5月にまた増刷された。

 (特別編集委員・上別府保慶)

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