あの日、何を報じたか1945/6/15【鍬で討つ古里の仇 聖地に疎開の沖縄学童】西日本新聞の紙面から

西日本新聞 福間 慎一

 〈打ち下ろすくわが梅雨晴れの強い陽光にキラリと光る。はちまき、半裸の姿で額ににじみ出る汗を拭おうともせず、真剣そのもののまなざしで手鍬を打ち振るっている学童たち。それはここ聖地日向に疎開してきた沖縄の少国民である。郷土を侵され、おそらく斬り込みを続けているであろう父母を持つ疎開児童の憂愁などみじんもなく、子供ながらも戦禍の中から立ち上がった不敵さが潜んでいるのが見受けられる〉

 米軍の激しい攻勢にさらされ、約20万人の命が奪われた沖縄戦。沖縄から九州に疎開してきた児童たちの様子を伝えるこの記事では、天孫降臨神話の里である日向(宮崎県)を「聖地」と呼んでいる。

 記事によると、この児童たちは1944年7月ごろ疎開してきたという。〈「早く大きくなって米鬼を撃つために疎開するのです」〉という子どもの言葉を紹介。〈誰がこんなにしたか、米鬼なのだ。あの憎い憎い米鬼なのだ。よし-。学童たちは悲涙をはらって火と燃える敵がい心を日々の生活のなかに移していった。そして少年兵になって沖縄の仇を、父母の仇を本土で討つと張り切っている〉と続いている。

 記事が掲載されて1週間後、沖縄の守備を担った第32軍の牛島満司令官らが自決。組織的な戦闘は終結する。(福間慎一)

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