この詩を知っていますか

西日本新聞 オピニオン面 永田 健

 1960年6月15日、岸信介政権が進めていた日米安全保障条約改定に反対する学生デモが国会に突入しようとして、阻止する警官隊と衝突した。混乱の中で東大生の樺(かんば)美智子さんが命を落とした。22歳だった。

 その日から明日でちょうど60年となる。

 樺さんが生前書き、友人に託していた一編の詩がある。それを読んでほしい。

   ◇    ◇

  「最後に」

誰かが私を笑っている

こっちでも向(むこ)うでも

私をあざ笑っている

でもかまわないさ

私は自分の道を行く

笑っている連中もやはり

各々(おのおの)の道を行くだろう

よく云(い)うじゃないか

「最後に笑うものが

最もよく笑うものだ」と

でも私は

いつまでも笑わないだろう

いつまでも笑えないだろう

それでいいのだ

ただ許されるものなら

最後に

人知れず ほほえみたいものだ

 ※「人しれず微笑(ほほえ)まん」(三一新書)より

   ◇    ◇

 この詩は60年安保闘争を経験した世代にとっては一種の常識かもしれない。しかし、それ以降の世代では知る人も少なかろう。

 この詩をできるだけ多くの読者に知ってほしい、というのが今回のコラムの趣旨である。だからここから先は蛇足のようなものだ。

 岸首相が反対を押し切って改定した日米安保条約はその後の日本外交と安全保障の基軸となった。最近の世論調査では日米安保を評価する回答が大多数を占める。それを根拠に60年安保闘争を「空騒ぎ」だったと切り捨てることも可能だ。

 一方、当時を知る世代からは、安保反対の市民的デモの広がりこそが戦後民主主義を定着させた、と位置付ける声も上がる。戦後15年を経て、市民が政治的意思を示すのは当然の権利だと確認したのが60年安保だった、という指摘だ。

 学生だけでなくさまざまな職業、年代の人々がデモに参加し、国会を幾重にも取り囲んだ。その熱量を今想像するのは難しい。

   ◇    ◇

 岸首相は安保条約改定を果たしたが、混乱の責任を取る形で退陣に追い込まれた。代わって登場した池田勇人首相は「所得倍増」を掲げて経済成長路線をまい進。国民の関心は経済に移った。以後現在まで、あれほどの「政治の季節」は日本に訪れていない。

 ここらで最近の検察庁法改正案に対する「ツイッターデモ」に言及し、SNS時代の世論形成などを展望しておけば政治コラムとしては収まりがいいだろうが、やめておこう。

 私の関心は、社会を良くしたいという理想に駆り立てられて行動し、倒れた若者の心情にあるからだ。

 およそ理想というものに惹(ひ)かれ、それを生真面目に追い求めようとした人間が味わう孤独、疎外、諦め、そしてかすかな希望-。そうしたものの全てがこの詩の中にある。

 「理想を追う」とはどういうことか。安保、さらには幾多の社会運動にとどまらない普遍的な人間の苦しみと願いをうたった詩は、樺さんの死から60年たった今も私たちの胸を打つ。

 (特別論説委員・永田健)

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