勉強出來るのも、あと四、五日しかない【軍国少年日記】

西日本新聞

六月十九日(火)晴

 腹やはり痛し。

 山本君から「おさらひ横町」をかりた。

 われわれの工場行きは、今月の二十四、二十五日頃かららしい。勉強るのも、あと四、五日しかない。戦ひは最後の五分間までといふ。勉強も最後の五日間を一生懸命やらう。

 山口浩邦君のため、言志録のかいしゃくを少し書いてやった。

 ツベルクリンの注射をがっこうでした。

 父、てんこの演習。

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 【注釈】工場行き…戦局が悪化する中で、国は1945(昭和20)年3月、「決戦非常措置要項ニ基ヅク学徒動員実施要項」を通達。学徒の通年動員が始まり、4月中旬から中学明善校では日本ゴム(現アサヒコーポレーション)、日華ゴム(現ムーンスター)、日本タイヤ(現ブリヂストン)、二日市西鉄車庫などに生徒が送り込まれていった。

※福岡県久留米市出身の竹村逸彦さん(89)が14歳だった戦時中に書いた「軍国少年日記」を、できるだけ原文のまま掲載しています

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