將兵最後の突撃敢行の件、新聞紙上発表さる【軍国少年日記】

西日本新聞

六月二十六日(火)曇

 今日はろう休暇。

 頭は、もうすっかりよくなった。七時半、起床。

 うちのトマトは、もうすっかり大きくなって、もだいぶ大きくなり、もはや赤くなるのをまつばかりである。

 竹中少尉、十時頃いらっしゃって玄関で話をしばらくされた。

 中村君に初めて(うまれて)のローマ字の手紙を出した。

 母はいもの苗を植えに松崎に行って、二十二時になってもかへらない。

 沖縄島しょうへい最後の突撃敢行の件、新聞紙上発表さる。

 ○時頃空襲警報

 六時頃警戒警報発令

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 【注釈】沖縄戦…1945(昭和20)年6月26日付の西日本新聞は大本営発表を受け「沖縄本島・皇軍最後の総攻勢」として、沖縄戦の情勢を伝えた。見出しでは「殺傷8万・600隻を撃沈破」「太平洋最大の出血戦」と報じているが、記事では「6月16日頃より敵の我が主陣地内浸透を許すのやむなくに至れり」「6月13日全員最後の斬り込みを敢行せり」などと伝えており、敗北感が読み取れる。

 実際は最高司令官の牛島満中将が23日に自決、組織的戦闘が終わったとされ、戦後は「慰霊の日」として戦没者追悼式が行われている。犠牲者は20万人とされるが、いまだに不明な部分も多い。牛島中将の「決別の辞」として本紙は26日付紙面で次の句を紹介している。

 「矢弾尽き 天地染めて 散るとても 魂還り 魂還りつつ 皇国護らん」

※福岡県久留米市出身の竹村逸彦さん(89)が14歳だった戦時中に書いた「軍国少年日記」を、できるだけ原文のまま掲載しています

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