あの日、何を報じたか1945/6/19【蹴飛ばしたぞ初の「本格暴爆」 焔(ほのお)の中に作業続行 余燼の街へ早や復讐の槌音 大牟田】西日本新聞の紙面から

西日本新聞 福間 慎一

 〈敵機攻撃の主目標となった大牟田市の敢闘ぶりは真に目ざましいものだった。十七日深更、いつもより早めの警戒警報が大牟田地区一帯の夜空に谺(こだま)して殷々と響きわたった。引き続き空襲警報の発令だ。ラジオに流れる西部防空情報に、いままでの機雷投下攻撃と違った動きを敏感にも感じ取った大牟田市民は工場も家庭も瞬時にして焼夷弾攻撃に対する万全の準備を終わった〉

 1945年6月18日未明、福岡県大牟田市は鹿児島市、浜松市、三重県四日市市とともに米軍機の空襲を受けた。当日の本紙は1面に〈敵・中小都市無差別爆撃を開始 九州にB29約百機 大牟田鹿児島焼夷弾攻撃〉などと大きな見出しで報じている。

 冒頭の記事は裏面(2面)、現在で言えば、社会面の関連記事の書き出し。大牟田市は住宅の密集する市街地が焼け野原となったが、記事からはその実情は伝わらない。

 〈五時間、八十機に達する連続空襲に、他に例を見ない僅少な被害に食い止めた輝かしい防空決勝の朝が明けたとき、街にはじんを残すのみで全生産工場の煙突からいつもと変わらぬ生産の煙がもくもくと流れ始めた〉とも伝え、〈鉄の備えと規律にかちどきとの関連記事見出しも含め、防空に成功したことを宣言している。

 福岡県知事は18日午後に大牟田市を訪問、戦災者に〈必ず勝つ。大いに頑張ってください〉と激励している。空襲の犠牲になった人の記事は一つもないが、43歳の女性がたいの時刻を誤って〉高射砲弾の破片が当たって亡くなったという短い記事がある。

 19日にこの紙面を手にした福岡市の読者の方々は、どのような思いを抱いたことだろうか。この日の深夜から未明にかけ、同市は221機のB29による「福岡大空襲」に遭うことになる。(福間慎一)

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