工場に行かうとしてゐたら、空襲警報が出た【軍国少年日記】

西日本新聞

七月四日(水)晴

 今朝の空襲警報は、三時間以内に解除になったのだらうと思って、九時半に工場に行ったら、三時間以上つづいたといふことで、いったん引き返した。

 山本君に「無人島に生きる十六人」と「東海道ひざくり」をかした。

 十二時に工場に行かうとしてゐたら、空襲警報が出たので行かなかった。

 父がどっかから帳面四さつもってて、僕にくれた。

 母が北野に行ったので、夕御飯は自分で炊いた。今頃はとても御飯の炊き方が上手になって、われながら感心してしまふ。

二十三時四十分空襲警報

三時解除

十二時空襲警報

十二時四〇分解除

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※福岡県久留米市出身の竹村逸彦さん(89)が14歳だった1945年に書いた「軍国少年日記」を、できるだけ原文のまま掲載しています

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