地蔵に誓う平和、代々受け継ぐ老舗店主 福岡大空襲から75年

西日本新聞 社会面 松本 紗菜子

 死者902人、行方不明者244人に上った福岡大空襲から19日で75年。犠牲者を追悼しようと、115年の歴史を誇る福岡市の老舗和菓子店「石村萬盛堂」の社長らが毎年この日に同市東区の宗玖寺(そうきゅうじ)を訪れ、「洲崎地蔵尊」に手を合わせている。地蔵を建立したのは、空襲で焦土と化した街を見た2代目社長石村善右(ぜんゆう)さん(享年71)。善右さんから息子へ、そして孫である4代目社長、善之亮(ぜんのすけ)さん(41)へ。地蔵に込められた平和への願いは、脈々と受け継がれている。

 善之亮さんは今年4月に亡くなった3代目の父僐悟(ぜんご)さん(享年71)から生前、空襲下での祖父の体験を聞かされていた。

 「博多は大丈夫か」。1945年6月19日、善右さんは疎開先の福岡県筑紫野市から博多方面の空が真っ赤に燃えているのを見た。

 石村萬盛堂は元々、空襲で甚大な被害が出た博多区須崎町に本店を構えていた。だが、戦況の悪化を受けて44年、強制疎開を理由に店は解体。善右さん一家は、筑紫野市に生活の場を移していたため惨禍を逃れていた。

 善右さんは須崎町に残っていた近隣住民を心配し、すぐさま現地に向かおうとしたが、軍に止められたという。翌日、博多に行き、目にしたのは一面の焼け野原。ともに支え合った近所の人たちも亡くなった。「祖父は本当に無念だったと思う」と善之亮さん。

 生き残った自分たちに何ができるのか-。善右さんは模索した。「お菓子を作り続けて町や人に元気を与えたい」。戦後すぐに筑紫野市で菓子作りを始め、博多に売りに行く生活を続けた。それでも「いつかは博多の地で商いを」という思いは変わらなかった。

 空襲から4年後の49年、かつて本店があったすぐそばの「旧麹屋番」(現在の博多座所在地)で店を再開。翌50年に本店近くの通りに空襲で焦げた自宅の庭石を台座にした洲崎地蔵尊を建立した。

 戦災五十回忌の節目の95年、「時代が移り、須崎町も変わり人も入れ替わってきた。事情を知らない人に粗末にされないように」と、地蔵を縁のある宗玖寺に託した。

 「生き残ったことに感謝し、地元に恩返しをしていく」。祖父の遺志を継ぐ善之亮さんは宗玖寺で供養祭を続け、朝礼や社内通信などでも空襲の悲惨な歴史を社員に伝えている。「毎年、供養祭を欠かさずやることがわが社の使命。この歴史を語れるのは、うちしかいない。空襲で亡くなった方への哀悼の意を込め、これからも続ける」。今年も19日は幹部ら約10人と宗玖寺で犠牲者の冥福を祈る。

 本店は歳月を経て須崎町に戻ったが、現在は老朽化のため建て替え工事中で、一時的に博多区下川端町に店を移している。2021年には新しい姿となり、戦災の記憶をつなぐ古巣で営業を再開する。 (松本紗菜子)

 福岡大空襲
 
福岡市史などによると、1945年6月19日午後11時すぎから約2時間、221機の米軍B29爆撃機が福岡市に焼夷(しょうい)弾を投下した。当時の奈良屋、大浜、冷泉、大名、簀子の5校区に被害が集中した。

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