あの日、何を報じたか1945/6/22【見つかった釜に大喜び 明朗・起ち上がる戦災者の壕生活】西日本新聞の紙面から

西日本新聞 福間 慎一

 〈「隣のおかみさん釜がみつかったよ」。焼跡を掘りくりかえしていた黒田さんが(中略)大きな声で叫んだ。これで夕食はあたたかいご飯が炊けるというもの。待避壕の入り口からひょっこり顔を出した姉さんかぶりのおかみさんが朗らかに笑ってうなずいている。余燼くすぶる福岡市某町で見た、起ち上がる戦災者壕生活の第一日だ〉

 大空襲から一夜明けた福岡の市民の表情、復旧の状況に多くの紙面が割かれている。「明朗」という言葉がしばしば登場するのは、報道統制の一環として1944年10月の「決戦世論指導方策要綱」などにあったように「戦時生活の明朗化」が政府からメディアに求められていたことに関連するのだろう。釜がみつかったおかみさんの言葉は、次のように記されている。

 〈「きのうはお隣の町内から炊き出しを受けましたが、釜ができましたからきょうから炊爨ができます。家に住んでいると焼かれはしないかなど心配しますが、壕内生活はそんな気遣いはちっともいらないし、あっさりしてよいものですよ」〉

 この「おかみさん」は、31歳の女性で、母と子ども2人の4人家族。疎開した酒屋の地下倉庫を利用した壕で待避していた。同じ壕に待避している別の5人家族の男性は次のように話している。

 〈「負け惜しみじゃありませんがね、さばさばしましたよ。もう大丈夫だ。さあ来るならいつでも来やがれって気持ちですよ」〉

 記事の近くには西鉄の路面電車が21日に運転を一部再開したことや、水道に汚水が混入した恐れがあるとして県や市が生水を飲まないよう注意を呼びかけた記事が掲載されている。(福間慎一)

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