平野啓一郎 「本心」 連載第279回 第九章 本心

西日本新聞 文化面

「どんなこと?」

「色々よ、……色々。」

 <母>は、そう誤魔化(ごまか)すように微笑した。僕は、さすがにやり過ぎじゃないかとも思ったが、本当の母も、結局、僕に言わないままのことをあまりに多くその胸に残したまま、死んだのだった。

「今度ね、……藤原亮治さんに会うんだよ。」

「あら、そう? すごいじゃない、朔也(さくや)。どうして? お母さん、あの人の本の大ファンなのよ。ほとんど全部読んでる。どうやって知り合ったの?」

「お母さんのことを話したよ。愛読者だったって。」

「そう? サイン会にも随分と行ったわね。……楽しみね。どんな人だったか、あとでお話聞かせてね。」

「お母さんは、話をしたことがないの?」

「ないわよ、有名な作家だもの。サイン会でも、ただ黙って本を差し出して、お礼を言うだけで。」

「そう。……」

 <母>は、嘘(うそ)を吐(つ)いているつもりはないのだった。ただ、自分が藤原と特別な関係にあったことを知らないだけだった。

 

 岸谷の事件は、共犯者三人が逮捕されたことで、連日メディアで大きく報じられていた。僕のところにも、三社から取材依頼があったが、いずれも断った。どこで彼との関係を聞いたのか? 気味が悪かったが、恐らくは警察か、以前登録していたリアル・アバターの会社だろう。

 彼は既に殺人未遂罪で起訴されており、公判はまだだったが、懲役三年から五年の求刑ではないかとされていた。

 ようやく明らかになってきた事件の概要は、僕も報道で知っている程度だが、漠然と想像していたよりも遙(はる)かに複雑で、異様だった。メディアではしきりに、「ゲーム感覚」という使い古された言葉が用いられ、現実と虚構の区別がつかない大人たち、といった批判がなされていたが、実際、そう言わざるを得ないところもあった。

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

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