「これから地獄か」クルーズ船から始まった戦後最大の医療危機

西日本新聞 一面 一ノ宮 史成 一瀬 圭司

 薄闇の海に、ほの白く山のような船体が浮かんでいた。

 2月5日未明、横浜港(横浜市)沖。数時間前、10人の新型コロナウイルス感染が判明した豪華クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」に防疫指揮官として乗り込みながら、厚生労働省の正林督章(しょうばやしとくあき)審議官は「大変なことを任された」と緊張を覚えた。ウイルスとともに、3711人もの人間がとどまる閉鎖空間。活動は難を極め、最終的な感染者は712人を数えた。中国・武漢から世界にまん延した未知のウイルスと、日本の医療との戦いが幕を切った現場。最前線は、その船外にもあった。

 前日の4日夜。ダイヤモンド・プリンセスの検疫のニュースを見ていた藤沢市民病院(神奈川県)の阿南英明副院長に、県庁職員から急報が入った。「船内で感染者が出ました。神奈川の病院で受け入れます」。災害派遣医療チーム(DMAT)の経験が豊富な阿南氏は要請に応じ、県庁に詰めて患者の搬送を取り仕切ることになった。

 5日は、10人を船から感染症に対応する指定医療機関に振り分けて運び、ひと息ついた。だが翌6日、新たに10人の感染が判明した。この時、乗客乗員の大半はPCR検査を受けていない状況だった。

 神奈川県内の指定医療機関は、8病院74床。同じペースで患者が増え続ければ、すぐに病床は埋まってしまう。「これから地獄が始まるのか-」。阿南氏が受け入れを打診する病院からも、「これ以上は通常の診療に影響が出る」「今は3人が限界」と悲鳴が上がり始めた。

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 突破口は二つの戦略だった。県外の空き病床の「受け皿」を活用する広域搬送と、新型コロナ患者の入院先を感染症病床に限定している感染症法の「原則」を外すこと。阿南氏の働き掛けで厚労省は9日、暫定措置としながらも一般病床での患者受け入れを認め、都道府県にベッド数の確保を促した。

 2月半ばに至り連日、船内から100人近い感染者が出たが、広域搬送を宮城県から大阪府まで15都府県に広げ、軽症者を数十人単位で受け入れる病院も現れ、初動期の「医療崩壊」は避けられた。当時、市中感染が限定的で同時多発していなかったことも幸いした。

 「新型コロナウイルスは日本にとって『戦後最大の医療危機』。備えはなかった」。政府の専門家会議メンバーの釜萢敏(かまやちさとし)日本医師会常任理事が、そう振り返る「第1波」。波はその後、高くなっていく。 (一ノ宮史成、一瀬圭司)

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