今も傷む背中の傷 目をそらさないで聞いて 原爆を背負って(1)

西日本新聞 久 知邦

 背中一面が真っ赤な血に染まり、うつぶせで苦しみに顔をゆがめる少年――。長崎原爆資料館に展示されている写真は、17歳の私の姿です。

 想像してください。石のような硬い塊が背中の皮を突き破って出てくる様子を。

 1945年8月9日、長崎に原子爆弾が投下されました。郵便配達中に熱線で焼き尽くされた私の背中は、通常の皮膚ではありません。汗腺も皮脂もなく、背中を覆っているのは瘢痕(はんこん)という薄い膜。汗もかけない背中には徐々に石灰質が沈着し、大きくなると瘢痕を突き破って出てくるのです。

 背中の痛みは一日に何度も変化します。殴られているようにずきずきしたり、針を刺されているようにちくちくしたり。布団に寝ていても背中の下に硬い石ころを敷いているようで、あおむけでは眠れません。体温調整も難しい。夏は熱が体にこもって焼けるように熱く、冬は何枚上着を着ても震えるほど冷えます。

 166㌢、47㌔。長い間、私はこの体重を維持してきました。「もっと食べなさい」と言う人もいます。でもこれ以上太ると背中の膜が引っ張られて裂ける。酒を飲めば、血管が膨張して背中が痛みます。被爆して1年9カ月間、ずっとうつぶせで過ごしたため、左胸の肉は床ずれで腐り、肋骨(ろっこつ)の間から心臓の動きが見えます。思い切り息を吸うと胸も背中も痛み、大きい声が出せない。私にとって、生きることは苦しみに耐えることにほかなりませんでした。

 最初の核戦争を生身で体験した私たちは、核兵器の恐ろしさを知っています。長崎原爆の死者は45年末までで推計7万3884人。多くの人が黒焦げになり、水を求めて亡くなった。生き残った者も後遺症で次々に死に、今も原爆の放射線は被爆者の体をむしばんでいます。この悪魔の兵器が、世界にはまだ1万7千発も存在しているのです。

 これからお話しするのは、原爆を背負って生きてきた私の半生。核兵器廃絶と援護の充実を求めてきた被爆者の闘いの歴史でもあります。あの日から半世紀以上がたち、過去の苦しみは忘れられつつあるように見えます。私はその忘却を恐れます。忘却が原爆肯定に流れていくことを恐れます。どうか目をそらさず、私の話に耳を傾けてください。

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被爆者がいない時代に ~再掲に寄せて~

 被爆直後の真っ赤な血で染まった背中の写真で世界に知られた谷口稜曄(すみてる)さん=2017年に88歳で死去=は、16歳で長崎原爆に遭ってから「一度も熟睡したことがない」と言っていた。

 原爆の熱線で焼かれた背中の傷は完治せず、痛みからあおむけで眠ることはできなかった。うつぶせになれば床擦れでむき出しになった左胸の肋ろっ骨こつが心臓を圧迫し苦しい。右を向いて横になり、体勢を微妙に変えながら浅い眠りについた。

 生活も制限された。太れば傷痕が引っ張られて裂けるため、体重は40キロ台を維持しなければならない。汗腺も皮脂もなくなった背中から出てくる石のような異物を取り除く手術は20回以上に及び、背中はつぎはぎのようだった。傷の影響で大きな声も出せなかった。

 西日本新聞の聞き書きシリーズ取材のため12年から約1年間、自宅に何度も通う中で、谷口さんにとって「生きることは苦しみに耐えることだった」のだと痛感した。

 原水爆禁止運動に初期から関わりながら、周囲には体験を語らなかった。「まともな体じゃない」ことをわが子に知られまいとした時期もあり、強いコンプレックスを抱えていた。口を開くようになったのは被爆25年後の1970年。米国立公文書館に保管されていた「赤い背中」の写真が、報道されたことがきっかけだった。反響は大きく、意図せぬまま表舞台に立たされるようになった。

 「写真が出なければずっと裏方だった。そんな器じゃないけんね」。被爆者の「顔」になっても、事務所の一室にこもりたばこをふかしながら黙々と作業をこなす姿は変わらなかった。

 原爆放射線による健康への影響を生涯にわたって受け、偏見や差別にさらされた被爆者たちは、核戦争の脅威が高まった冷戦期、欧米で体験を繰り返し話した。海外遊説を続けた谷口さんは「戦後、核兵器が使われなかったのは被爆者が世界に訴えてきたからこそだ」とよく語った。

 その自負の裏で、廃絶まで導けなかったことへの焦りも強めていた。米ニューヨークの国連本部で開かれた核拡散防止条約再検討会議でスピーチした10年も、80年代に肌で感じた反核運動の熱気には及ばなかった、と残念そうだった。17年、核兵器禁止条約の採択を受けて、亡くなる直前に病床から寄せたビデオメッセージではこんな不安を漏らしている。

 「被爆者が一人もいなくなった時に、どんな形になるのかが一番怖い」

 戦後75年。世界にはまだ1万発以上の核兵器が存在する。被爆者たちが次々に鬼籍に入る中、想像力を欠いた為政者が現れないか懸念する。

 原爆による苦しみと、被爆者としての責務を一身に背負い、最後まで核なき世界の実現を願い続けながらこの世を去った谷口さん。その声に、いま一度、耳を傾けてほしい。(久知邦)

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 戦後75年の夏に合わせて、本紙ウェブサイトでは、長崎原爆で被爆した日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員の谷口稜曄さんの聞き書き「原爆を背負って」(2013年、78回)をお届けします。聞き手は久知邦記者。文中の年齢などは連載当時のものです。

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 「原爆を背負って」の英訳版「THE ATOMIC BOMB ON MY BACK」が長崎原爆の日の8月9日、米国で発行されます。同国で自費出版する日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は初版500部の発行に必要な資金70万円をクラウドファンディングで募っています。クラウドファンディングへの参加はこちらから

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