二つの屋号掲げるラーメン店 継承する二つの歴史とは

西日本新聞 もっと九州面 小川 祥平

◆ラーメン のれんのヒストリー 替え玉(6) きむら(宮崎市)

 豚骨スープが元々透き通っていたことは案外知られていない。今、多くの人が思い浮かべる白濁した豚骨の始まりは終戦直後。西鉄久留米駅前(福岡県久留米市)の屋台「三九」から広がった。画期的だったのだろう。交通事情は悪く、インターネットもない。そんな時代にもかかわらず瞬く間に九州各地に波及した。

 宮崎県における白濁豚骨発祥の店として知られるのは70年近く続く老舗「きむら」だ。創業店こそ閉じられたが、今も宮崎市内2カ所で営業。そのうちの一つ「大淀店」に向かった。

 到着してまず店名表記の“揺れ”に気付いた。外の看板に書かれた「きむら」に対し、のれんには「喜夢良(きむら)」と染め抜かれている。4代目の西久保耕生さん(48)に聞くと「二つの歴史を継承していますから」

 一つは先代の父、耕信さん(81)が作り上げた歴史、そしてもう一つは創業者による歴史だという。

 「木村一(はじめ)さんという方が始めたと聞いています」

 ただ、西久保さん親子とは面識がほぼなく、詳しいことは分からなかった。

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 「宮崎もそうですが、その前に熊本でラーメンを広げた方ですよ」

 木村さんのことを調べていると、九州ラーメン研究会の原達郎さん(76)=福岡市=にたどり着いた。

 生前のことを知る原さんによると、木村さんは宮崎生まれ。1950年ごろ、熊本市で不動産業と中古車販売を3人で営んでいた。ところがその事業、うまくいかなかったらしい。そんな折、玉名で食べたラーメンに衝撃を受けた。

 「これは商売になる!」。その店こそが久留米から玉名に支店を出したばかりの「三九」だった。

 味を学んだ木村さんは熊本市で「松葉軒」を開業し、ほどなく店を譲り、53年に古里の宮崎で「喜夢良」を始めた。ちなみに残りの2人のうち、山中安敏さんは「こむらさき」、重光孝治さんは「味千ラーメン」を立ち上げ、ともに熊本を代表する店になっている。

 原さんは続けた。「木村さんは喜夢良を売り渡し、熊本に移ったそうです」

 木村さんの手を離れた歴史は、西久保家によるもう一つの歴史につながっていく。

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 木村さんがバトンを託した2代目の期間は極めて短かったようだ。70年ごろ、仕事を辞めたばかりだった耕信さんは、2代目と知り合いの親戚に「ラーメン店をやらないか」と持ちかけられた。木村さんの元で働いた従業員から作り方を習って、店舗と味を引き継いだ。

 場所は繁華街のほど近く。しかも珍しい白濁豚骨とあって人気を博した。81年には宮崎神宮の近くに支店をオープン(現在は場所を移し「北店」として営業)。その際に支店の屋号を「きむら」に変えた。

 「父にとって『自分の店』という自負があったからでしょう」。ただ、のれんは「喜夢良」のままにして創業者への敬意を示した。

 そんな父親の背中を見て育った西久保さんは自然と後を追った。20歳すぎから本格的に働き、96年の「大淀店」オープン以来、ずっと同店を仕切る。伝統を守りながら自家製麺を始めるなど独自色も出している。

 2006年、耕信さんの体調不良のため本店は閉じられた。「喜夢良」の屋号は途絶えてしまったが、支店ののれんはそのままに今に至っている。

 「木村さんの思いと、そこからつながる歴史を絶やせない責任がありますから」。西久保さんはそう言いながら丼を差し出した。

 茶色がかったスープは元だれが立ちつつ、あっさり。ほろほろ崩れるチャーシューはスープのアクセントにもなり、コシのある中細麺とよく絡んだ。

 北九州、佐賀、日田、玉名、熊本、宮崎…。「三九」を祖にした白濁豚骨は、各地に広がった。私もそのいくつかを味わったが、同じ久留米発祥と思えないほどそれぞれが違っていた。

 ラーメンには、作り手、食べ手の好み、土地の味も加わる。きむらの一杯もしかり。歴史を重ねたゆえの味わいが丼の中にあった。 (小川祥平)

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