入国制限が遅れた代償は 五輪開くため聖火到着待ち、ウイルス拡散

西日本新聞 一面 塩入 雄一郎 湯之前 八州

 ウイルスの感染拡大を政府はどこかで食い止められなかったのか。その答えを示唆する研究成果が4月27日、国立感染症研究所から発表された。

 感染研は国内の陽性患者から検出されたウイルスのゲノム(全遺伝情報)を解析した。分かったことは二つあった。一つは初期のクラスター(感染者集団)は中国・武漢で検出されたウイルスの特徴を備えていたが、このタイプは抑え込みに成功し、ほぼ終息したとみられること。

 もう一つは、3月以降に検出されたウイルスの多くが、欧州を「起源」とする遺伝子の特徴を備えていたことだ。感染研のリポートには「3月中旬までに海外からの帰国者経由で“第2波”の流入を許し、全国各地に伝播(でんぱ)したと推測される」と記されている。

 米国が欧州(英国を除く)からの入国を禁止したのは3月13日。日本も早急に水際対策を講じる必要があったが、政府が欧州などからの入国制限に踏み切ったのはその8日後だった。

 なぜ遅れたのか。この間に何があったのか-。

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 当時の焦点は東京五輪・パラリンピックの行方。大会組織委員会幹部は、国際オリンピック委員会(IOC)が大会中止に傾くことを警戒していた。「IOCメンバーで最も多いのが欧州出身者。無理に日本でやる必要はないという雰囲気が漂い始めていた」

 欧州でくすぶる中止論を封じ、日本開催を「既成事実」とする戦略が練られた。その一つが聖火を確実に日本に到着させること。安倍晋三首相は当時、面会した公明党幹部にこうささやいている。

 「聖火が到着しさえすれば、延期になっても日本開催は揺るがない。日本に聖火が着くことこそが重要なんだ」

 聖火の採火式は12日、ギリシャで行われた。出席した遠藤利明元五輪相は、次々と感染の火の手が上がる欧州の現実を目の当たりにした。現地の聖火リレーは初日こそ行われたが、2日目の13日に中止された。

 「採火式が何日かずれていたら(聖火を日本に移すのは)難しかったかもしれない」。遠藤氏自身、フランスでの視察予定を取りやめ、急きょ帰国した。ぎりぎりのタイミングだった。

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 20日、待望の聖火が日本に到着。翌21日、政府は欧州を含む38カ国からの入国者に自宅待機を要請する措置を始めた。イタリアの感染者は4万7千人に達し、フランスは1万人を超えていた。

 そして24日夜、日本の戦略が成就する。首相はIOCのバッハ会長と電話会談し、東京五輪の1年程度の延期で合意した。「東京オリンピック・パラリンピックの中止はないということを確認した」。首相は記者団にあえて強調した。

 政府が欧州からの入国拒否に踏み切ったのはその3日後だった。既に欧州各国から帰国した旅行者らを通じてウイルスは都市から地方へ拡散、感染経路をたどれない状況が水面下で進行していた。

 欧州を刺激せず、聖火の到着を待ち、五輪の日本開催を守るために、私たちは何を失ったのか。どんな代償を払ったのか。詳しい検証はまだなされていない。 (塩入雄一郎、湯之前八州)

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