【動画あり】長崎線旧ルートに明治の名残探して 鉄道好き記者の旅

西日本新聞 もっと九州面 中原 岳

鉄ガクの旅(2)

 JR長崎線の終点、長崎駅が3月28日、高架化に伴って150メートルほど西側に移転した。旧駅の場所で開業したのは1905(明治38)年。以来、長崎市の玄関口として115年にわたって親しまれてきた。私も長崎で勤務していた時、ここから特急「かもめ」に乗って旅に出た。移転前に、思い出深い駅に別れを告げようと、長崎までの鉄道旅行を思い立った。

 特急「かもめ」は博多-長崎間を2時間前後で結ぶが、今回は明治時代に長崎駅が開業した当時のルートで向かうことにした。実は現在、「かもめ」が走る有明海沿いの路線は1934(昭和9)年に開通。それまでは現在の佐世保線や大村線が長崎線と呼ばれていた。かつてのメインルートには、当時を物語る痕跡もあるはず。そう期待して博多駅で快速列車に乗り込んだ。

 長崎線の起点、鳥栖駅で午前10時3分発肥前山口行きの普通列車に乗り換えた。車両は主力として活躍する817系電車。佐賀のシンボル、天山(1046メートル)を右手に佐賀平野を駆け抜けた。

 約50分の乗車で佐賀県江北町の肥前山口駅に到着。長崎線と佐世保線の分岐点として有名な駅だ。かつては、多くの特急がここで行き先ごとに編成を切り離したり、連結したりしていた。

 東京-長崎・佐世保間の寝台特急「さくら」、京都-長崎・佐世保間の「あかつき」。博多-長崎間の「かもめ」と博多-佐世保・ハウステンボス間の「みどり」「ハウステンボス」も、この駅で分かれ、それぞれの目的地へ向かった。まさに鉄道ファン垂ぜんの駅だったのである。

 私事で恐縮だが、私は10歳まで同町で暮らした。自宅からは長崎線や佐世保線が見え、朝の通学時間帯には長崎行きと佐世保行きの「あかつき」を踏切で見送った。当時の肥前山口駅は赤い屋根の平屋で、改札口の近くでは確かインコが飼われていたような…。

 寝台特急は10年以上前に既に廃止され、同駅で分割、併結を行う「かもめ」と「みどり」「ハウステンボス」もない。「かもめ」の一部は同駅を通過するようになった。駅舎は2003年に橋上駅に建て替わった。どこにでもある特急停車駅の一つになってしまったように感じ、寂しさが募った。

 気を取り直して午前11時44分発の普通列車早岐(はいき)行きに乗車。佐世保線、いや旧長崎線に入った。ここからは単線区間。電車の速度も幾分落ち、のんびりとしたローカル線の風情が楽しめた。

 長崎県佐世保市の早岐駅には午後0時33分に到着。ちょうどお昼時だ。名物のグルメと言えば佐世保バーガー。旧長崎線のルートから外れ、佐世保駅に向かった。

 駅周辺にも佐世保バーガーの店がいくつかあり、港に面した複合商業施設「させぼ五番街」に入る店を選んだ。1時を回っていたが、店内はほぼ満席で、約10人が行列を作っていた。

 注文して出てきた佐世保バーガーは、シャキシャキのレタスやトマト、焼いた卵、パティが挟まり、ボリュームたっぷり。満足したところで、佐世保午後2時11分発の区間快速「シーサイドライナー」長崎行きに乗り込んだ。

 車両は国鉄時代に製造された気動車、キハ66・67系。沿線のテーマパーク「ハウステンボス」をイメージした特別な色をまとっていた。

 キハ66・67系は1975年の山陽新幹線博多開業に合わせ、博多駅や小倉駅と福岡県筑豊地区を結ぶために2両編成15本が製造された。大きな馬力のエンジンや、当時としては座り心地の良い座席を採用し、急行列車にも使われたという。福岡県内を通る篠栗線や筑豊線の一部が、「福北ゆたか線」として2001年に電化されたのを機に、非電化の大村線にやって来た。

 現在、活躍しているのは日本、いや全世界でも、大村線と、接続する長崎、佐世保線だけだ。しかし、今年3月に後継の新型車両が投入された。鉄道ファンとしては、今後の動向から目が離せない。

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