爆笑王の死が国民変えた 「真剣に注意しなければ」という“遺言”

西日本新聞 一面 一瀬 圭司

 4月7日は、日本で初めて緊急事態が宣言された緊迫の日として記憶に刻まれることになった。対象は福岡など7都府県。安倍晋三首相の官邸での記者会見は、これから新型コロナウイルスとの戦いの「ヤマ場」に突入していく悲壮感と覚悟に満ちていた。

 「現在のペースで感染拡大が続けば、感染者が2週間後には1万人、1カ月後には8万人を超える」「人と人との接触を7割から8割削減することができれば、2週間後には感染者の増加をピークアウトさせ、減少に転じさせることができる」

 ところが、1カ月半余を経て宣言が全面解除された後、政府の専門家会議が驚きの新事実を明らかにする。「潜伏期間などを考慮すると、新規感染者のピークは『4月1日ごろ』に迎えていたと考えられる」-。宣言以前に、既にウイルス感染は減少局面に移行していた。

   ◇   ◇ 

 専門家会議は「4月1日ごろがピーク」の要因をこう分析する。「3月25日の小池百合子東京都知事の外出自粛要請などにより、3月末から国民の行動変容が起こり始めていた」 

 もう一つ、国民の心理に強い変容をもたらしたとみられる出来事がピーク2日前の3月30日、報じられていた。新型コロナに感染し、入院していたタレント志村けんさんの死だ。享年70。NHK連続テレビ小説「エール」への出演など、活躍の場をますます広げていたさなかだった。 

 「仮に千人亡くなったとしても、数字だけでは国民はピンとこない。誰もが知っている志村さんがこの病を一気に身近なものに変え、『真剣に注意しなければならない』という“遺言”を残すことになった」。専門家会議メンバーの岡部信彦・川崎市健康安全研究所長は、悲報を機に「3密」回避などの訴えが急速に浸透していった肌感覚を振り返った。

 それでも、岡部氏をはじめ専門家たちは「緊急事態宣言は必要不可欠だった」と断言する。人々の接触頻度をさらに最低水準まで落として保ち、都市部から地方への新たな感染拡大に歯止めをかけ、「第1波」収束への流れを決定付けた。3月末、東京を中心に発生した重症者向け病床の逼迫(ひっぱく)危機に対しても、「宣言で医療機関同士が協力するようになり、スムーズなベッド確保につながった」(釜萢敏(かまやちさとし)・日本医師会常任理事)のだという。

   ◇   ◇  

 当初、「国民の自由と私権を制限し、暴動が起きないか」「ビジネスが行き詰まり、自殺者が増えるかもしれない」との慎重論も根強かった宣言。だが、発出後の4月中旬に一部報道機関が実施した世論調査では、「評価する」と「(発出が)遅すぎた」が、それぞれ8割を超えた。

 「4月7日」のタイミングに関しては政府が、(1)企業決算の基となる3月末株価への影響を回避した(2)自粛による損失を支援する経済対策をまとめるのに時間がかかった(3)唐突な全国一斉休校要請などで批判を浴びたことを踏まえ、宣言を容認する世論の熟成を待った-などの諸説がある。厚生労働省幹部は「新型コロナが難しいのは、2週間経過しないと感染が判明せず、総合判断できないところ。仮にタイムマシンに乗って宣言以前に戻ったとしても、同じタイミングでの発出になるだろう」と話す。

 防疫を優先する緊急事態宣言は、経済には甚大な打撃となった。もともと経済重視の首相は、周囲に「一度しか出せない」との本音を伝えている。「第2波」と対峙(たいじ)して「もろ刃の剣」が再び抜かれるか否かは、世論の風向きによるところが大きい。

(一瀬圭司)

PR

社会 アクセスランキング

PR

注目のテーマ