平野啓一郎 「本心」 連載第288回 第九章 本心

西日本新聞 文化面

 実際、僕と三好との共同生活も、性別こそ違え、同じ可能性があったのではないかと、僕は考えた。母が生きていたなら、彼女との「シェア」について何と言っただろうか? <母>は、母のそんな過去など、知る由もなかったが。

「そうだとして、……僕はどうやって生まれたんですか?」

「第三者の男性から、精子の提供を受けた、と僕には説明していました。」

 藤原は、いかにも世に通じた作家らしい態度で、無感動に、抑揚もなく説明した。

 僕は、相槌(あいづち)を打とうとしたまま動けなくなっていた。その隙に、言葉は、見知らぬ無遠慮な訪問者のように、勝手に僕の中に入ってきて、何喰(なにく)わぬ顔で胸に居座った。

 そのまま、しばらく僕は黙ったままだった。胸の奥では、何かしきりにおしゃべりが続いていたが、それを聞き取ることは出来なかった。要するに、そういうことは、必ずしも珍しいわけではないじゃないか、といった話なのだろうが。

「そうですか。……それは、精子バンクとか、そういうのですか?」

「病院を通じての非配偶者間の人工授精は、男性の不妊治療に限定されてますから、お母さんたちは、それは利用できなかったんです。あれは、提供者の条件が、非常に細かく定められているようですね。……お母さんが紹介されたのは、私的にそういう活動をしていた男性だそうです。」

「……それが、僕の父親ですか?」

「生物学的には、そうでしょう。」

「誰ですか?」

「それは、聞いてません、僕も。」

「だけど、……病院も介さずに、どうやって妊娠したんですか?」

「男性が自分で採取したものを容器に入れて、送ってくるんですって。」

「そんな方法で、妊娠するんですか?」

「難しいみたいです、高齢になると特に。僕も詳しくは聞いてませんが、性交渉のケイスも、当然あるようです。」

 事実は、僕が事前に想像していたのとは、凡(およ)そ懸け離れていて、「父親」という言葉さえ不適当と感じられた。僕は、母がそんな方法で妊娠を試みていたことを思い、痛ましいものを感じた。

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

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