あの日、何を報じたか1945/6/30【焔の中に通信死守 佐世保局 乙女部隊殉職】西日本新聞の紙面から

西日本新聞 福間 慎一

 〈猛火と戦いあくまで職場を死守した佐世保郵便局電話課交換事務員橋本キミヨさん(二四)ほか○○名の交換事務員はいずれも文字通り職場を一歩も離れず戦場を職場として通信の責任を果たしついに殉職した〉

 6月28日深夜から29日未明にかけ141機のB29の編隊による攻撃を受けた長崎県佐世保市では、約2時間の空襲で1万2037戸が全焼。1242人が犠牲になった。空は梅雨の雨雲に覆われていたため、市民の不意を突く深夜の空襲だった。

 空襲から逃げることを禁じられた状況で、防空や自らの職務を全うし命を落とした人が大勢いた。24歳の橋本さんもその一人。記事は橋本さんの名前を挙げ、その「敢闘」をたたえている。

 〈煙と炎にまかれながらあくまで敢闘、橋本さんの腕時計は一時十五分を指して止まっていた。敵機来襲より四十五分間にわたる敵暴爆の中、乙女達の力強い敢闘であったのだ〉

 記事は同僚の吉田トヨさんが〈涙ながら語る〉内容を紹介している。

 〈わたしたちはつねにもし敵機が来たら職場を決戦場として散るのだと語り合っていましたが、とうとうその通り橋本さんたちはその職分を果たされました。残ったわたくしたちは必ず橋本さんの後に続く覚悟であります〉

 今でこそ、空からの焼夷弾攻撃に立ち向かうことの無謀さは論をまたない。しかし当時、人々をこの心境に追い込んでいたのは国であり、メディアでもあった。(福間慎一)

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