全身包帯の女児、押し寄せる猛火… 熊本空襲で16歳が見た「あの日」

 太平洋戦争末期、熊本市街地が焼き払われた熊本空襲から75年となる1日、同市で「語り継ぐ集い」が開かれた。「水をください…」という負傷者のか細い声。燃え上がる炎の熱気、焼夷(しょうい)弾の油のにおい、見渡す限りの焼け野原-。集いでは、2人の女学生が体験した「あの日」の新たな証言が朗読された。

 昭和20(1945)年7月1日深夜、約150機の米爆撃機B29が熊本の空を覆った。この日は女子師範学校(熊本大教育学部の前身)の入学式があり、当時16歳の平田房子さん(92)=東京都=と、高宗くささん(92)=熊本市中央区=にとっては、新入生として寮生活初日だった。

 深夜、平田さんは空襲警報で眠りから覚めた。校庭に出ると校内に押し寄せる猛火を、教師や上級生が消し止めようとしていた。「水をください、水をください」。校門付近では、担架で運ばれてきた負傷者の低い声が、だんだん細くなっていった。平田さんが「末期の水」と思い、水を口に運んだ。「ありがとうございました」。消え入りそうな声も覚えている。

 校内には、多くの負傷者が収容されていた。目と鼻と口の部分以外の全身を包帯で巻かれた幼い女児もいた。女児は苦しみに耐えきれず、畳敷きの教室で体を動かしていた。その様子が忘れられないという。

 高宗さんも警報を聞き、寮を飛び出した。上空からB29の爆音が響き、外は昼のように明るかった。空から降り注ぐ焼夷弾の雨。花火のように見えた。

 炎上する学校近くの宅地でバケツリレーに加わった。防空頭巾の上から防火用水の水をかぶっても、猛烈な熱気ですぐに乾いた。何度も水をかぶり、炎に立ち向かったという。

 集いでは、主催した「平和憲法を活(い)かす熊本県民の会」の代表幹事の1人で、平田さんのめいに当たる田尻和子弁護士(68)が手記を朗読。「叔母から熊本空襲の話を聞いたのは、これが初めて。75年前の光景を克明に覚えていることに驚いた。生と死を分ける場面に遭遇した16歳の少女が、いかに強烈な印象を受けたかが分かる」と話した。 (古川努)

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