平野啓一郎 「本心」 連載第291回 第九章 本心

西日本新聞 文化面

「……藤原さんは、母から安楽死の希望を聞いたことがありましたか?」

「ないです。僕があなたのお母さんと会っていた頃は、まだあなたも小さかったから、そんな考えは過(よぎ)らなかったでしょう。――寧(むし)ろ、その願望を語ったのは、僕の方です。」

「……。」

「安楽死というより、死の自己決定権の話をしました。お母さんとは、そんな深刻な話もよくしたんです。――人間は、一人では生きていけない。だけど、死は、自分一人で引き受けるしかないと思われている。僕は違うと思います。死こそ、他者と共有されるべきじゃないか。生きている人は、死にゆく人を一人で死なせてはいけない。一緒に死を分かち合うべきです。――そうして、自分が死ぬ時には、誰かに手を握ってもらい、やはり死を分かち合ってもらう。さもなくば、死はあまりに恐怖です。」 

 藤原は、当時を回想する風に、静かに僕に語りかけた。それは実際、まさに母が望んでいたことであり、その相手として僕は選ばれ、そして、それを叶(かな)えてやることが、僕には出来なかったのだった。

「そのために、……死の予定を立てる、ということですか? 看取(みと)ってくれる人と、スケジュールを調整するために?」

「人生のあらゆる重大事は、そうでしょう? 死だけは例外扱いすべきでしょうか? 他者と死を分かち合うというのは、臨終に立ち会うだけじゃない。時間を掛けて、一緒に話し合う時間を持つ、ということです。」

「……一人の人間が、もう死んでもいいと思えて、相談された側がそれに納得する。――それは、どういうことなんでしょうか?」

「不治の病、年齢的なもの、……実際には、生の限界が見据えられていて、その延長の是非を真剣に検討させられる状況でしょうね。僕だって、そう先は長くないんだから、予定が立てば、最後に子供たちや孫たちとも、お別れが出来ます。」

 藤原は、微笑して言った。僕は、彼のそうした自覚に対して、一種の憚(はばか)りを感じたが、それでも、どうしても訊(き)きたかった。

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

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