戦場に不釣合いなバラの便箋 殺伐とした兵士慰めた女学生からの手紙

西日本新聞 筑豊版

モノが語る戦争 嘉麻市碓井平和祈念館から(12)

 木陰に座る女性のシルエット、伏し目がちな看護婦の肖像にバラの花の縁取り。戦場には不釣合いな便箋には、戦地の兵士に宛てた少女たちの言葉がしたためられている。1937(昭和12)年に始まった日中戦争で満州に派遣された陸軍兵が受け取った慰問文である。宛名は「戦地の兄様へ」となっている。

 「遠い戦地の大陸は防寒服に身を固めてすさぶ吹雪を物ともせずに兵隊さんは歩哨をしていらっしゃる。そしてその肩にその胸には烈々たぎる大和魂がこもっている。その尽忠の心こそ日本軍人でなければできないのです。(中略)兵隊さんがこうして命がけで日本を守ってくださるようにお留守番の私たちも寒さに負けずにしっかり銃後の女性として守ります。どうぞお体をお大事に勇ましく戦ってくださいね。(これから先は手紙を出しっこしましょうね)」

 戦時中、家族や知人と直接つながる手段は郵便だった。日露戦争(04~05年)の頃から戦地の将兵への慰問がさまざまな形で行われるようになり、慰問文も職場や学校、婦人会などの奨励で盛んに送られた。

 中でも女学校などから送られる若い女性の慰問文には、戦地の兵を鼓舞し銃後の女性の覚悟を示した毅然(きぜん)とした文面もあれば、母のように兵をいたわり、兄や恋人のように慕う柔らかな表現までさまざまな文体が見られる。便箋や封筒も乙女たちが好む女性らしいデザインのものも多い。返信を受けた後に文通が始まることもあり、文面には親しさが増し、写真や押し花を送り合うなどの交流が生まれる。殺伐とした戦地の兵士たちを精神面で大いに慰め励ましたに違いない。

 碓井平和祈念館では毎年、戦争体験者の話を語り伝える催しを行っているが嘉麻市に住む80代の女性が終了後に1枚の写真を取り出して見せてくれた。女学生の頃、慰問文をきっかけに文通していた兵から送られてきたという。便りが途絶えた後も捨てきれず、戦後もずっとしまっていたと語る目は、少しはにかんだ少女のようであった。

(嘉麻市碓井平和祈念館学芸員 青山英子)

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 嘉麻市碓井平和祈念館が収蔵する戦争資料を学芸員の青山英子さんが紹介します。

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