あの日、何を報じたか1945/7/5【注意せよ戦災地からの便り】西日本新聞の紙面から

西日本新聞 福間 慎一

 〈爆撃後の流言飛語やデマは市民の不用意に基づくことが多い。大牟田市の各郵便ポストには「当局発表以外通信するな」と大牟田憲兵分隊、警察、郵便局連署でビラを貼付して市民の注意を喚起しているが、やっぱり被害状況や死傷者の数やありもせぬでたらめを書いて投函したものもあって、大牟田警察で訓示説諭を受けた者は二十六件に上った〉

 当時の新聞は言論統制下にあった。早稲田大名誉教授の山本武利氏(情報史)によると、報道機関は被害地点や死傷者数、建物や道路などの被害状況を具体的に明示しないよう命じられていたという。

 新聞は海外でも入手でき、被害の実相を掲載することは敵に空襲の効果を示すことになるからだ。こうした背景もあって、市民が被害の状況を伝えることは〈ありもせぬでたらめ〉でもあり、明文化されてはならないものだった。大きな被害が出た6月18日の大牟田空襲でも同じだった。

 記事は〈では戦災地からの手紙はどんなに書けばいいのか。戦意を高揚する立派な文面を一、二拾って見る〉として、二つの手紙を「模範」として紹介している。

 1通目。〈大塚はる子さんから某病院の兄へ 大牟田の暴爆はすでにご存じのことと存じますが、これぐらいのことでへこたれるものかと大いに張り切って増産に頑張っています。私の家は近所の人たちのおかげで何事もありません。ご安心ください〉

 2通目。〈原田某君から友人に宛てたもの 戦局の苛烈なるを顧みて頑張ってゆこうではないか。君はすきをとり僕はねじ回しだ。米鬼が本土に来るのも遅くはないだろう。明朗にあくまで楽しく防壁となろうではないか〉(福間慎一)

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