「出動させず」という決断

西日本新聞 永田 健

 黒人男性暴行死事件に端を発する人種差別反対デモが続く米国で、トランプ大統領が先月、デモを武力制圧するために軍隊を投入する意向を示唆した。

 これに対しマティス前国防長官ら軍関係者が猛反発。マティス氏は、トランプ氏が国民の分断を深めていると厳しく批判した。トランプ氏も当面は、軍投入を見送ったようだ。

 この経緯で思い出したが、日本でも戦後1度だけ、デモ鎮圧のため自衛隊の投入が真剣に検討されたことがあったのである。出動一歩手前の局面だった。

   ◇    ◇

 1960年。日米安保条約改定を進める岸信介政権に対し、その強引な政治手法に反発する学生のデモが激化した。市民も加わった大規模なデモが国会を幾重にも取り巻き「安保反対、岸辞めろ」のシュプレヒコールを上げた。6月15日には国会に突入しようとしたデモ隊が警官隊と衝突、東大生の樺(かんば)美智子さんが死亡した。

 安保改定を成し遂げてアイゼンハワー米大統領の訪日を実現したい岸首相は同日、私邸に赤城宗徳防衛庁長官を呼び、デモ鎮圧に自衛隊の出動を要請。しかし赤城氏は出動に反対する。

 翌日の閣議で岸首相は、アイゼンハワー大統領訪日を断念すると発言。岸首相は改定安保条約が自動発効したのを見届け、6月のうちに退陣を表明した。

   ◇    ◇

 赤城氏はどうして出動要請に応じなかったのか。

 13年後に日本経済新聞で連載された「私の履歴書」を読んでみると、赤城氏自身がこう説明している。

 「わたしは、デモ鎮圧のための自衛隊出動には、もともと反対だった」

 「というのは、デモ隊を鎮圧するには、一発勝負で決めなければ無意味である。そのためには、当然、機関銃などで武装させねばならぬ。そこで、同胞相克の『残酷物語』となっては内乱的様相に油をそそぐ」

 「出動させるべきでないことを直言した。岸総理は腕組みをしたまま、ただだまって聞いていた。悲壮な息のつまる一瞬だった」

 自衛隊が同胞を傷つけるようなことになれば、どれほどの禍根を残すか。赤城氏はそれを危惧したのだ。

 もしこの時自衛隊が出動していたら-。天安門事件のような惨事になったのだろうか。少なくとも、現在ある国民と自衛隊との信頼関係が成り立っていないのは間違いないだろう。

 この日の岸-赤城会談は「自衛隊は国民に銃を向けず」という不文律ができあがった歴史的場面だった、と言えるかもしれない。

   ◇    ◇

 後日談がある。赤城氏はその後、訪米の折に大統領を退任していたアイゼンハワー氏を訪問した。話が安保改定に及ぶと、アイゼンハワー氏はこう語った。

 「あのとき(訪日を)やめてよかった。自分が行けば(群衆を)弾圧手段でおさえることになって日本が非難を受けたかもしれない。それは、日本にとってもアメリカにとっても好ましいことではない」

 赤城氏は「自衛隊出動をしなかったことは賢明だった」との意味の言葉だと受け止めたという。

 米国の大統領もかつては懐が深く、長い視野でものを考える人物だった、ということか。赤城氏は1993年、88歳で亡くなった。

 (特別論説委員・永田健)

PR

社説・コラム アクセスランキング

PR

注目のテーマ