中村八大編<470>暗闇の世界で

西日本新聞 夕刊 田代 俊一郎

 「久留米(福岡県)出身の中村八大です」 

 中村は1986年11月28日、長崎県波佐見町でのコンサート「ピアノとギターとおしゃべりと」の中で自己紹介している。 

 「(コンサートは)その都市の人口の1パーセントがお客さんだと大盛況です。波佐見町は1万5千人(当時)ですから1パーセントは150人、今日は800人もいらしゃっている」 

 このようなおしゃべりをはさみながらピアノソロは進行する。バイエルの48番を基に「ベートーベン風に」「演歌風に」「沖縄風に」と自在にアレンジして聴かせている。この時は55歳で、すでにヒットメーカーとして地位を確立していた。 

   ×    × 

 このコンサートの日は夜になると気温10度を下回った。会場の体育館には暖房装置はなかった。中村はおしゃべりの中で幾度も「寒い」と語っている。ピアノ弾く手もかじかんだ。この寒さが少年時代を引き寄せたのだろうか。突然、「会場には戦後生まれの人も多いでしょうが」と前置きして戦中、戦後の混乱期の久留米時代を問わず語りのようにつぶやいた。 

 「食べるものもない。着るものもない。寒い」 

 さらにもう一つの情景として「節電」を加えた。戦後まもなくは電力事情も悪く、夜8時から10時まで久留米市街地の電気が一斉に消え、闇の世界に包まれた。その不自由さも中村少年にとってはある意味、待ち望んだ輝く時間帯でもあった。ピアノについてのエピソードを話している。

 「一般の人はじっとしているか、寝るしかなかった。私は真っ暗闇の中でピアノを弾くことを覚えた。暗い方がやりやすい。明るい時代になると鍵盤を間違えることもありました」 

 こう語って、会場の非常口以外の照明をすべて切るようにスタッフに依頼した。曲名も告げずにピアノを弾き始めた。ベートーベンのピアノソナタ「月光」である。コンサートの主催者の一員として関わった地元のジャズ喫茶「ダグ」のマスター、立石聰(73)は今でも覚えている。 

 「照明を消すことは予定にはなく、突然のことでした。会場全体がしーん、と静まり返りました」 

 ピアノの旋律だけが闇の中に流れた。この日は曇り空で、会場には月の光は差していなかった。 

 少年時代の一人だけのひそかな、夜の、自由なレッスン。そのピアノを聴いていたのは月だけではなかった。 =敬称略

  (田代俊一郎)

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