徴用工の「日常」を読む 小出浩樹

西日本新聞 オピニオン面 小出 浩樹

 歴史に関する記事を書く上で、当事者の日記など1次資料を読む作業は重要だ。それらを引用して書かれた文章(2次資料)より、格段に真実に肉薄できる。

 日本統治下にあった朝鮮の人々の肉声を刻んだ1次資料は、意外と少ない。私は最近、「朝鮮人徴用工の手記」(河合出版、1990年)という古書を入手した。先の大戦末期、25歳で日本に徴用された鄭忠海(チョンチュンヘ)氏による回顧録だ。

 広島の東洋工業で機械作業に従事した当時の克明な日記をもとに書かれた。衣食住の細部までが匂い立つように伝わる。韓国語の原本を研究者の井下春子氏が翻訳した。「何かの参考になれば」と本人から託されたという。

 この本の価値は二つある。第一は、出版された90年には徴用工を巡る今のような日韓の争いはなかった点だ。つまり、内容は政治的に脚色されていないと推定される。

 第二に鄭氏は、日本の国民徴用令に基づき44年12月に動員された徴用工であることだ。今、俗に言う「徴用工」には、徴用令が朝鮮に適用される同年9月前に、募集や官あっせんに応じて渡日した人を含む場合が多い。

 さて鄭氏が記した日常は、徴用工に付きまとう奴隷労働のイメージとは、かけ離れている。東洋工業の寄宿舎には約200人の「応徴者」がいたという。<(絹のような寝具など)会社側ではわれわれを迎えるに当たり、いろいろ気を使ったようだ><いつもにぎやかだった。酒盛りが繰り広げられた。花札の六百(ユッペク)がやられる。一カ月、二カ月にあたる給料をすったとこぼす者も少なくなかった>

 事務室には岡田和江という日本人もいて恋仲になった。<彼女と私は干潟にでて浅蜊(あさり)、なまこ、牡蠣(かき)などを取って一時を楽しんだ>

 あるいは東洋工業だけが特別だったのだろうか。鄭氏は一方で、屈辱感も記す。<よその国家と民族に強制的に動員されていく悲哀>

 読んでいて、私が10年ほど前にソウルで取材した朴寛淳(パククアンスン)氏という八十路(やそじ)前の元教師を思い出した。志賀直哉らの小説を愛し、戦後も師範学校の日本人同窓生と交流した。

 彼は私に、日常つい口ずさむ鼻歌は今も日本の歌だと言った。「荒城の月」をそらんじた。いい曲だ、と。「でも、悔しいねぇ、やっぱり嫌なんだ。心の傷というか。あの時代へのわだかまりは消えないんだよ」

 2人の言葉は歴史の一断面をありのままに伝える。来月15日、終戦75年を迎える。事実と肉声に学べ-改めて自戒する。 (特別論説委員)

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