定説覆す?江戸末期に山笠法被 櫛田神社の絵馬調査で判明

西日本新聞 ふくおか都市圏版 日高 三朗

 福岡市の夏祭り「博多祇園山笠」で着用する法被の起源が、定説の明治後期より40年以上早い江戸時代末期までさかのぼる可能性の高いことが、同市博多区の櫛田神社の絵馬調査で分かった。1854年の絵馬に、山笠台上で指揮を執る法被姿の人物が描かれており、識者は「山笠の謎の一つに迫る貴重な史料となりそう」と評価している。

 定説では、98(明治31)年に福岡県知事が半裸で山笠を舁(か)く姿は文明開化にそぐわない-などとして山笠中止を提案。議会も多数が賛同した。そこで博多っ子は一計を案じ、祭り存続へ法被を着るようになったと博多祇園山笠史談(同振興会発刊)に記録されている。

 ところが近年、明治説に見直しを迫る調査が相次ぎ、櫛田神社が調査委員会をつくって確認に乗り出した。学芸員資格を持つ職員が神社所蔵の「追い山笠図絵馬」(約1・5メートル×約2・7メートル)を詳細に調べた。

 54年の追い山の絵には、境内を旋回する「櫛田入り」が描かれているが、六つの流(ながれ)(運営組織)とも台上がり3人のうち2~3人が法被を着用。先頭の山笠の右側を走る男は紺の法被姿で、台上にも同色の法被の男が描かれる。調査委は交代要員と推定し法被が定着段階に入ったのではないかと分析した。

 実は、より古い1830年の絵馬(同市早良区の横山神社蔵)にも、台の周囲にわずか3人だが法被姿の男が描かれている。時代を経る間に、役職者が法被を着るようになったことは、それだけ法被が普及したことの表れではないかと調査委はみている。

 福岡市文化財保護審議会委員で絵馬を見た須永敬九州産業大教授(民俗学)は「二つの絵馬から法被に階層性や多様性がうかがえる。法被の変遷が分かる貴重な史料となりそうだ」と評価している。

 近年の市博物館や在野の研究者の調査で明治初・中期の写真が多く見つかり、法被姿は明治に入ると珍しくなくなる。

 こうしたことから調査委は(1)絵馬の描写は法被が定着していく段階を示す可能性がある(2)福岡藩主の山笠見物の警備上、藩が町の顔役に一目で責任者と分かる法被を着せたのでは-などと推論。調査が進めば法被のルーツが解明できると期待している。

 

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