「声上げられぬ人の分も」差別体験語り始めた娘 ハンセン病家族訴訟

西日本新聞 社会面 山下 真

控訴断念から1年

 ハンセン病元患者の家族に対する差別被害を認め、国に賠償を命じた昨年6月の熊本地裁判決について、安倍晋三首相が控訴断念を表明してから9日で1年。社会が未知の新型コロナウイルスにおびえる今また、感染者や家族へのいわれなき非難や中傷が飛び交っている。どうすれば、理不尽な偏見、差別をなくすことができるのか-。同じ過ちを繰り返させないためにと、体験を語り始めたハンセン病元患者の家族がいる。

 高原を一望する広場で、ロープ伝いに整列する父と子どもたち。笑顔はなく、周りを気にして身を寄せ合っているようにも見える。

 「父はよくドライブに連れていってくれました。これは阿蘇か、大分か。たった1枚だけ残る父の写真です」。モノクロ写真を大切そうに見つめながら、福岡市の50代女性は父の半生に思いをはせた。

 父は20代前半でハンセン病を発症。当時、交際中だった母は、親族や行政職員から「病気が子どもに伝染するから、絶対に結婚しないように」と言われたという。読書家の母は、ハンセン病は感染しにくい病気だと理解していた。「隔離政策は間違っている。私が証明したい」と反対を押し切って結婚。父とともに故郷を飛び出した。

 父は国立療養所「菊池恵楓園」(熊本県合志市)に入所。母は園のそばの家に移り、女性を含むきょうだい4人と暮らした。父が家に通ってくるうち、近所の人は一家を避けるようになった。回覧板も、集落で使う水道施設の鍵も渡されなかった。飼い犬が突然いなくなり、白い毛が血で赤く染まった状態で自宅裏の木につり下げられていたこともあった。

 女性が差別を実感したのは小学生のころ。同級生や先生に無視されても最初は意味が分からなかった。ある日、道徳の授業で部落差別を知った。「これが差別なのか」。母は「あなたは間違っていない。堂々としていなさい」と言った。

 高校に入ると、地元から離れた学校で初めて友人ができた。「もし、病気を知られれば…」。友人を失うのが怖くて父のことは話せなかった。社会人になり、結婚相手を父に会わせた。何ら変わらず接してくれたが、その親族には打ち明けられなかった。父が亡くなる直前も「面会謝絶で会えない」と隠し続けた。

 転機は昨年7月。家族訴訟の原告として東京で開かれた判決報告集会に初めて参加した。報道陣による撮影が禁じられた区域に座りながら、父を思い、マイクを握った。「何もしてあげられなかった父に謝りたい。曲がった手を握りしめたい。もう一度、父のもとに生まれ変わり、一緒に闘ってあげたい」

 以来、啓発活動に加わった。「当事者だからこそ伝えられることがある」と講演会で体験を語っている。今、新型コロナ感染症の人や家族、時に医療従事者までが差別や偏見にさらされ、息を潜めなければならない状況が自らの境遇にも重なるという。

 家族訴訟の原告561人の大半は今も差別を恐れ、名前や顔を出して活動する人は少ない。女性自身も、かつてハンセン病の父を理由に姉の結婚が破談になったことを考えると、名前を出すことはできない。それでも、踏み出した一歩が父に届けばと願う。

 「私は両親から愛情をもらって生きてきて、まだ恵まれていた。両親と引き離され、今も生き地獄を味わっている人もいる。声を上げられない人の分まで、差別の過去を伝えるのが私の使命です」 (山下真)

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