一度きりの戦場の告白

西日本新聞 オピニオン面 上別府 保慶

 この豪雨で、私の母親の里がある鹿児島県伊佐市大口は、いつもの夏ならば名物のそうめん流しでにぎわうはずの曽木の滝が、泥に染まった濁流と化した。

 伊佐市まで車なら1時間の同県霧島市にある実家に帰省していた私は、母と一緒に地元民放局のニュースを見て濁流のすさまじさに驚いていた。母はあのきれいな滝がとつぶやいた後、11年前に92歳で亡くなった古里の長兄、つまり私の伯父のことを話し始めた。

 大正生まれの伯父は、伊佐市の大きな農家の長男として育ち、戦時中は2度も兵隊に取られて、戦後は農地解放によって広大な田畑を失った家を継いだ。名は稜威雄(いづお)といった。

 年配の方ならすぐお分かりだろうが、その名は天皇の威光を意味する「御稜威(みいつ)」から取った。伯父は西郷隆盛のように目がぎょろりとして迫力のある顔立ちだったが、跡取りとして大事に育てられ、性格は内弁慶だった。弟や妹たちに学校の成績は及ばなかったこともあり、伯父はこの名が重荷だった。

 子供のころは農作業に出ることもなく、田畑へよくヒバリのひなを捕まえに出た。親ヒバリは餌を集めた後に高く飛び、急降下して着地し稲穂や草むらの中に姿を消す。そして天敵に見つからぬよう素早く走って、ひなが待つ巣へ向かう。

 伯父はそれをあおむけに寝て見張り、巣の位置を見定めると忍び寄り、ひなを持ち帰った。家には買い与えられた高価な鳥かごがあった。縦に飛ぶヒバリのために縦に長い特製だった。

 青年になった伯父は兵役を満期で務め上げて除隊した後、戦局の悪化で再び召集された。いずれも中国に送られた。復員してからは戦地の話題は避けた。ただ焼酎を飲み、悪酔いをしない夜はなかった。

 客が帰った後のいろりの前で、妻を接待の仕方が悪いとののしり焼酎を温めるカナジョカ(鉄瓶)をぶつけた。止めに入った母には火箸を投げつけた。息子、つまり私のいとこは何かにつけて殴られ、伯父を憎んで農業は継がなかった。

 伯父はただ一度だけ戦場の記憶を口にした。

 「中国人の間諜(スパイ)を拷問し、死んだと思いそのままにしたが、しばらくして戻ると姿がない。離れた草むらの中で事切れているのを見つけて驚いた」と。鹿児島弁でこれだけを言い、後は口を閉ざした。

 伯父の通夜で、この話が出て、戦争からかなり時が過ぎたのに、さぞ心の奥に突き刺さっていたのだろうと親族は話し合った。喪主のいとこはベトナム戦争で心を病んだ帰還兵の映画の話をして「おやじと同じだと思う」と言った。戦争という濁流は、美しい田野に育った心も押し流したのか。 (特別編集委員・上別府保慶)

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