芥川賞はスカウトだ 岩田直仁

西日本新聞 オピニオン面 岩田 直仁

 新進作家の登竜門とされる芥川賞を受賞しなくとも、文学史に名を刻む作家は少なくない。例えば、古くは第1回で落選した太宰治。現役では村上春樹さんがいる。賞の選考委員を務める島田雅彦さんも受賞していない。

 とはいえ、文学の大海にこぎ出した小舟にとって、芥川賞は昔も今も、ありがたい追い風には違いない。その風を帆に受けることなく、消えていく小舟もまた多い。

 坂口〓子(れいこ)さんの名を知る人は、今ではほとんどいないだろう。1914年、熊本・八代に生まれ、小学校で教えた後、日本統治下の台湾に渡った。現地の文芸誌に小説を発表し、著書も刊行した。

 戦後、日本に引き揚げた。台湾先住民と日本人の交わりを女性の視点から描いた「蕃婦ロポウの話」が第44回芥川賞の候補となったが落選。最後まで三浦哲郎さんの「忍ぶ川」と選考を二分したという。その後も2回、候補になったが受賞に至らず、やがて商業誌から消えていった。

 坂口さんは2007年に亡くなったが、晩年まで同人誌などに作品を書き続けたという。もし、芥川賞という風を得ていたら、人生は変わっていただろうか。

 戦前の台湾を舞台に支配者と被支配者の関係を描いた女性作家がいた事実も、彼女の周辺に日本語で小説を書いた台湾人の一群の作家がいた事実も残念ながら、ほぼ忘れ去られてしまった。

 時は流れ、今年1月の第162回芥川賞選考会。候補作は総じて厳しい評価を受けたが、最終的に福岡市生まれの古川真人さんに決まった。選考委員の島田さんは会見で「受賞作なしという最悪の事態は避けられた」と語った。「無理して決めた」印象を与えたのか、物議を醸したが、私は好感を持って聞いた。

 今年2月に他界した古井由吉さんは長年、芥川賞選考委員を務めた。ジャッジ(判定)よりも、才能を見つけるスカウトを心掛けたという。芥川賞を6回落選した島田さんも同じ姿勢に違いない。

 「筆で生きていけるかどうか、文芸誌に何回か作品が載った程度じゃ分からない。だから、芥川賞をもらった時はうれしいというより、心底ほっとした」。文化部時代、ある作家からそんな話を聞いた。「作家」と呼ばれ、居心地の悪さを覚えなくなったのは受賞後とも語っていた。

 芥川賞は出版業界の販売拡張戦略、メディアは騒ぎ過ぎだ-。そんな冷ややかな声もあるが、この賞に背中を押され、成長する作家は確かにいる。第163回の選考会は15日。 (論説委員)

※文中の〓は衣ヘンに零

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