辺境の診療所から(3) 地域の合意決定機関「長老会議」 自覚と名誉にかけ順守【中村哲医師寄稿】

<1993年4~5月に本紙朝刊に掲載された中村哲医師の寄稿連載「辺境の診療所から アフガン難民との10年」(全17回)>

 渓谷の日没は早い。車道の途絶える目的地点に着いた頃には陽が既に山陰に隠れ、闇が降りてきた。伴ったサイード氏の親戚の家は浅瀬の向こうの丘にあり、急流を徒歩でわたった。水は清澄で早く、川底が余りに透けて見えるので浅く見えた。だが、流れに入るや、意外にも突然腹まで氷水のように冷たい水に浸かり、足をすくわれそうになった。

質素だが十分な接待

 みなずぶ濡れになり、ほうほうの体で家にたどり着いた。門構えから一見してただの農家ではなさそうだ。通された客室は天井と周囲の壁が板張りで、こんな山中にしては豪華な作りである。我々は腹ぺこの上、濡れて寒さにふるえていたが、ランプの灯火で元気を取り戻した。家の主イッサ・カーン氏は、我々が医療チームであることを知って喜び、質素だが十分もてなしで応えてくれた。

 一通り名乗り合いと挨拶を交わし終え、熱い茶と食事が出された。しかし、主は案内してきたサイード氏が自分の従兄弟とは未だ気づかない様子だったので、サイード氏自ら事情を述べた。急に主のイッサ氏の顔が輝いた。再び立ち上がって幾度も抱擁を交わし、消息を尋ねあった。子供時代を共にして別れた後、実に三十年ぶりの対面だったのだ。

期待どおりの成果

 食事を終えてシャワリ医師が我々の来訪の目的を話し、サイード氏も助け舟を出して理解してもらった。ただ一つだけイッサ氏は注文をつけた。

 「これはこの地域の福祉にかかわる事ですから、ぜひジルガ(長老会議)の議題にのせていただきたい。私個人で便宜を図れぬことはありませんが、誤解を招くでしょう」

 これは我々の望むところであった。近代的法治組織の絶無な伝統社会では、ジルガが最高権威である。だが、ジルガは決してミニ国会やミニ裁判所ではない。地域の利益になることを協議し、合意に達すればそれを各人が守る。決定の順守は各自の自覚と名誉に賭けて行うもので、ジルガが権力を行使する手段はない。その権威は地域毎に多少異なるが、概ねその共同体の「合意決定機関」と言える。我々がジルガの保護下に入れば、安全が保障されると共に、その地域で公共性を帯びた活動になる。特にダラエ・ピーチで我々を苦しめたのは政治党派の干渉であったから、この提案は期待どおりの成果だったのである。

 だが、この背景には主のイッサ氏の苦い体験があった。彼はそれを諄々と説明した。

 「八年前に実は一人のフランス人医師がこの村にも来たのです」

罠にかけられる

 私は驚いて聞き耳を立てた。この山中に入るのは我々が初めてだろうと思っていたが、おそらく国際的に知られたNGOの片割れに違いあるまい。だとすれば、今やアフガニスタン各地で悪感情を持たれている理由を具体的に知りたかった。

 「彼は何も知らず、純粋に医療活動を願っていました。わしも住民のためになると思って便宜を与えました。しかし、元々わしは或る政治党派から煙たがられていました。彼らがこの地域を支配するのを避けるために、わしは別の党派とも付き合いをして牽制していました。それがなおさら彼らには面白くなかったのです。それで、この医師を利用して、彼らはわしを罠にかけました。

 ある時、『急患だ』とその医師が夜中に上手のバザールに呼び出されました。そこで彼は或る家に引き入れられ、何と若い女と一夜を共にさせられたのです。当然、フランス人医師は、追放されるハメになりました。噂がたちまち広がり、わしも面目丸つぶれ、反イスラム的だの、ショラウィ(共産主義者)だのと後ろ指―そんなことがあったのです。

 その後わしは村人と共にバジョウルに一時難民として逃れていました。やっと先月帰ってきたところです。帰ってみれば、家は荒れ果ててこの有様、何のおもてなしもできませんが、どうぞご勘弁ください。でも、これはわしの立場もくんで是非ジルガで公にしていただきたいのです」

(JAMS医師、ペシャワール在住)

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