あの日、何を報じたか1945/7/14【防空逃避者に貼紙 西日本短信】西日本新聞の紙面から

西日本新聞 福間 慎一

 〈熊本県国民義勇隊本部では敵の空襲におびえて門扉を閉ざし空き家同様にして田舎へ逃出している連中が熊本市内に点々とあり、中には平素大きな顔をしている者もいるので当人たちに厳重警告の上、それでも聞かないときには「防空逃避の家」と大書した赤紙をその家に貼って非国民の刻印を捺すことにした〉

 「西日本短信」はごく短い記事を数本集めたコーナーで、当時の西日本新聞に毎日掲載されていた。

 この記事は上記のみで終わるわずか140字程度のまさに「短信」。だが、その内容は敗戦秒読みの段階で、空襲で命を失いかねない住民と、市民や県民の戦意がくじけて統率を失いかねない当局の、双方の恐怖心がにじみ出ている。

 1937年に施行された「防空法」は、太平洋戦争開戦直前の41年11月に改訂され、▽都市からの退去禁止▽空襲時の応急消火義務-が加わった。43年に内務省が出した公式冊子「時局防空必携」の改訂版では、焼夷弾の威力を過小評価し、簡単に火を消せるような記述もある。

 「火にひるまず消せ」という雰囲気が隣組や町内会単位で強まり、逃げる人に対しては、この記事にあるように文字通り「非国民」のレッテルが実際に貼られた。

 新聞にも「退避」という表現はなく、すべて「待避」と記されている。壕は難から逃れるためのものではなく、あくまで消火作業に当たることを前提に「待つ」場所だった。(福間慎一)

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