異変に気づいたのは医師 感染症の脅威、現在と重なるジカ熱の経験

西日本新聞

 2020年7月24日。この日、東京オリンピックの開会式が予定されていた。いまも組織委員会のウェブサイトには「世界最大規模のセレモニーに向けて、日本・東京を世界にアピールするために」という文言が残されている。

 本来なら、開会式を直前に控え、新聞もテレビもオリンピック一色で、日本中が盛り上がっていたはずだ。もはやそんな雰囲気はひとかけらもない。直径0・1マイクロメートルの新型ウイルスの出現が、私たちの目の前に広がる世界を一変させてしまった。

 オリンピックが感染症の脅威にさらされるのは、今回が初めてではない。前回のブラジル・リオデジャネイロ大会でも、ジカウイルスによる感染症が問題となった。WHOが「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言したのは大会開催半年前の16年2月1日。今回の新型コロナウイルスの流行に対して1月末に緊急事態が宣言されたタイミングとも重なる。

 さらにこのジカ熱がブラジルに上陸した原因もスポーツの国際大会にあると言われている。ジカ熱は13年に仏領ポリネシアで大流行していた。それが14年に開催されたサッカーW杯でブラジルにもたらされた可能性があるのだ。

 ブラジルの人類学者デボラ・ジニスがこのジカ熱について書いた民族誌『ジカ熱 ブラジル北東部の女性と医師の物語』(奥田若菜・田口陽子訳)が去年邦訳された。ジニスは、未知の感染症の原因をつきとめた医師や小頭症との関連をあきらかにした産科医、ジカ熱に感染した女性とその家族などにインタビューを重ね、この本を書いている。

 興味深いのは、異変に気づいたのが、いずれも現場にいた医師だったことだ。14年9月、ブラジルではチクングニア熱の国内感染が確認されていた。この感染症に対処するため北東部の保健・医療関係者がメッセージアプリでグループを立ち上げた。そこでのやりとりが、のちのジカウイルスの発見につながる。

 医師たちは患者を診察しながら何かがおかしいと感じていた。感染症が専門のセルソ医師は、州内を動き回って病人を診察し、疫学の専門家と情報交換を続けた。そして当初アレルギーと思われていた症状が、蚊が媒介するウイルスによる感染症だと気づく。

 原因が判明したあとも、わからないことが多かった。当時、ジカウイルスが胎盤を通して胎児の発育に影響を及ぼすとは考えられていなかった。神経小児科医のヴァネッサは、小頭症の新生児の増加を不思議に思い、医師たちと連絡をとりながら私費で各地の病院を回った。集められた症例は酷似していた。ジカ熱と小頭症が関連している疑いが強まった。

 北東部奥地の産科医アドリアナも、妊婦の超音波検査を続けるなかで、母子感染が小頭症を引き起こすことを確認する必要性を感じていた。妊婦の羊水検査を研究所に依頼し、ジカウイルスが検出される。だがそれを保健局に伝えても聞いてもらえなかった。科学界では田舎の女性臨床医は低い地位にあったからだ。

 ジカ熱の経験は、現在の状況と重なる。日本でも現場の保健所や医療関係者の献身的な働きがなければ、事態はより深刻だったかもしれない。強いリーダーシップを待望する声は大きい。だが感染症の危機では、現場の声を重視し、それを支える姿勢こそが重要なのだ。

 ジニスは、この本を出版する前に、ジカ熱に感染した貧困地区の女性の実像を描いた民族誌映画を撮影し、公開している。中絶が犯罪とされるブラジルで、女性の権利を守る訴訟を支援する組織もつくった。「日本語版へのあとがき」で、ジニスは「女性たちの孤立に寄り添い続けることを決意した」と述べる。18年8月、最高裁の公聴会で中絶の脱刑罰化を求めたとき、殺害予告を受け、現在、彼女は米国で亡命生活を送る。人類学者は現場の声に耳を傾け、深く関与するなかで、ときに傍観者ではいられなくなる。人びとの目線に立つ。その低い視点が人類学者のレンズの置き場である。

◆松村圭一郎氏(まつむら・けいいちろう) 1975年、熊本市生まれ。岡山大准教授(文化人類学)。京都大大学院博士課程修了。エチオピアでフィールドワークを続け、富の所有と分配などを研究。「うしろめたさの人類学」で毎日出版文化賞特別賞。近著に「これからの大学」「はみだしの人類学」。

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