裏の飯島さんに召集が來た【軍国少年日記】

西日本新聞

八月三日(金)曇後雨

 今朝は全く久しぶりに警報が出なかった。

 今日もけっせき。下痢は、きのふまでは、良くなってきてゐたのに、今日はまた悪くなった。九時頃までに便所に四回行った。

 松本さんのところに本箱および本を疎開させるので、客間の本箱二つを出して、その中に大事な本をつめて、あとの二つの本箱は、うちにおいて、その中には別に大事でない本を入れた。

 裏の飯島さんに召集がた。もう四十三・四さいくらいの方だけれど。

 午後はほとんどど便所に行かなかった。

 父は今日宿直である。

 今日は全く警報が出なかった。一体何日ぶりだらうか。

-------

 【注釈】この頃の食糧事情として、1945(昭和20)年8月3日の西日本新聞朝刊に「常食にかせ山菜類」という記事がある。決戦食確保のため利用できるものとして「ヒユ、イヌビユ、スベリヒユ、クローバー、アカザ、オオバコ」などのあえ物や油炒め。代用茶として「カワラケツメイ、萩の葉」など。動物性タンパク質として「食用がえるはもちろん、普通の蛙の照り焼き」「いなごのミンチボール」「蛇のてんぷら」「オタマジャクシの団子」などが「美味である」としている。

 ※福岡県久留米市出身の竹村逸彦さん(89)が14歳だった1945年に書いた「軍国少年日記」を、できるだけ原文のまま掲載しています

福岡県の天気予報

PR

福岡 アクセスランキング

PR

注目のテーマ