腹痛で缺席する者が多い【軍国少年日記】

西日本新聞

八月六日(月)晴後曇

 人々のいふところによると、きのふは佐賀の南東の諸富といふ所が爆撃をうけたさうだ。

 今日より再び出席。腹痛でけっせきする者が非常に多い。作業はロールで練ったゴムを靴底の模様を入れるロールにはこぶ作業だった。ゴムが熱いため肩がやけどのやうになってヒリヒリする。

 地下足袋(十文半)および玄米の配給あり。米はおよそ一升二三合。

 まだがっこうに行ってゐる時、出した木のべんとう箱のお金一円十銭を、辨當箱は切符で買ふことになったからとて、もどされた。

 十時半警戒警報

 【注釈】広島原爆…1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、マリアナ諸島テニアン島から飛来した米軍爆撃機B29エノラ・ゲイ号が広島市に原子爆弾を投下。当時の広島には約35万人がいたとされ、このうち約14万人が同年末までに死亡したと推計されている。

 原爆は投下から43秒後、地上約600メートルの上空でさく裂し、小型の太陽ともいえるしゃくねつの火球を作り出した。火球の中心温度は100万度を超え、1秒後には最大直径280メートルになった。爆心地周辺の地表面の温度は3千~4千度に達し、強烈な熱線、放射線、超高圧の爆風が人々を直撃した。

 人類史上初の核攻撃だったが、翌7日の西日本新聞には、大本営発表を受けての、わずか4行の記事しか掲載されていない。

 「B29少数機は6日午前8時20分頃、広島市に侵入。しょういだんならびに爆弾攻撃を行って脱去した。損害目下調査中」

 こうした報道管制の下、国民は原爆投下を知らされず、竹村さんの周辺でも全く話題に上らなかったという。

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 ※福岡県久留米市出身の竹村逸彦さん(89)が14歳だった1945年に書いた「軍国少年日記」を、できるだけ原文のまま掲載しています

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