巡業力士、台湾に死す

西日本新聞 オピニオン面 上別府 保慶

 夕暮れの台北市の街角で「君はそれでも日本人か」と叱られたことがある。司馬遼太郎さんが「台湾紀行」を書いた際に、その取材を助けた「老台北」こと、蔡焜燦(サイコンサン)さんとばったり会った18年ほど前のことだ。

 蔡さんは日本語を話す世代で、いつも「私は親日家ではありません。愛日家です」と言う。大の相撲好きでもある。台湾でも相撲の衛星中継は大変な人気で、横綱の貴乃花は「平成相撲王子」と呼ばれ、その不調が心配されていた時だった。

 で、蔡さんはその日の勝敗を尋ねてきたのだが、こちらは相撲に疎い。「あなた、ニッポンの国技じゃあないですか」としこたま説教されて、頭をかいた。

 さて、第1次大戦中の1918年春、日本の統治下にあった台湾に大相撲の一行が訪れたことがあった。当時の相撲界は東京と大阪に分かれていたが地方巡業は合同で行い、台湾へも一緒に船で来た。島内各地を回り大変な人気を呼んだ。

 ところが巡業中の力士たちが病気にかかり、東京で人気の高い三役候補の真砂石(まさごいわ)浜五郎が4月5日、息を引き取った。新聞はその病名を「大腸破裂」、あるいは「気管支炎と肺炎とを併発」と報じたが、歴史家の速水融(あきら)氏は「日本を襲ったスペイン・インフルエンザ」(藤原書店)で、いわゆるスペイン風邪だった可能性を指摘している。

 真砂石のほかにも、東京の長洲洋と大阪の若木山が死亡し、入院者は相次いだ。しばらくして台湾では「不思議な熱病現(あら)はる 伝染性流行と為(な)せり」(台湾日日新聞6月20日付)と、発熱や倦怠(けんたい)感を訴える患者の発生が記録されている。

 日本に戻った力士たちは5月の夏場所を迎える。ここで高熱のために寝込む休場者が続出して「力士病」や「角力(すもう)風邪」などと取り沙汰された。幸い症状は軽く死者は出ず、翌年の場所も無事だった。速水氏はこの時にかかった力士は「一種の免疫を得たのであろうか」とする。

 とはいえ、これは感染拡大の第1波にすぎなかった。18年秋の第2波になると、各地の学校や工場、炭鉱、軍の兵営で感染が爆発。整備が進む鉄道網に乗って全国へと拡大していった。

 先ごろコロナ禍のため、いつもは福岡市である11月の九州場所が東京で開かれることになった。地元ファンの落胆は深い。同感ながら歴史をひもとくと、こんな感染拡大の例もある。

 冒頭の蔡さんは、戦時中に陸軍の少年兵となり、戦後は体育教師を経て実業家になった。よく「今の日本人は昔のことを知らなさ過ぎる」と嘆く人だった。3年前の7月17日に90歳で死去。「こんな時こそ背筋をピンと伸ばしなさい」と、叱る声が聞こえる気がする。 (特別編集委員・上別府保慶)

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