平野啓一郎 「本心」 連載第313回 第九章 本心

西日本新聞 文化面

 到着が早すぎて、ティリの姿はまだなかった。

 店員に予約名を伝えると、室内とテラス席とを選べると言われた。外は考えていなかったが、意外に何組かの姿があり、僕は、丁度(ちょうど)空いていた、日比谷公園を見下ろす四人がけのテーブル席にしてもらった。

 バッグを傍らに置いて一息吐(つ)いた。じっとしていても、寒いということはなく、外気が心地よかった。

 大通りを行き交う車の音が聞こえていたが、それも気にならない程度に留(とど)まっていた。その先では、冬枯れの公園に残る常緑樹が、折から射(さ)してきた日光に映え、微風に美しく揺れている。光と影、枝葉の動き、吹き抜ける風といった大きな一体感は、やはり仮想現実とは違うと感じた。

 テラスに設置されたガラス製のフェンスに、雀(すずめ)が一羽、こちらに背を向けて、止まっていた。僕は、綿花のようにまん丸に膨らんだ、その愛らしいお腹(なか)をしばらく見ていた。普段は、日比谷公園に棲(す)んでいるのだろうか? そして、雀の頭越しに、また木立の緑と青空を眺めた。

 僕は、雀の目に、この世界がどう見えているのかは知らない。その全身に、この世界がどう感じ取られているのかも。しかし、人間である僕と、まるで違うことだけは確かだった。

 それぞれに、この世界を、自分の生存に必要な方法で認識している。僕と雀とが、この世界を真に等しく享受するのは、死後、僕たちの種に固有の認識システムが破壊されて、宇宙そのものと一体化する時だろう。だとすれば、僕に今、あの木の緑が、あのように美しく見えていることには、僕が生きていく上で、必要な意味があるのだった。……

 

 女性店員がメニューを持ってきて、一瞬、陰になった。僕は、それを少し残念に感じた。恐らく、人の気配に驚いて、彼女が立ち去ったあとには、もう雀の姿はないだろう。

 僕は、気も漫(そぞ)ろでメニューの説明を聞いていた。しかし意外にも、再び開かれた視界の中に、雀はまだ留まっていた。

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

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