妻子思う戦時の絵手紙 過酷な軍隊、明るく描く 兵士の孫が8月展示

西日本新聞 ふくおか版 下村 佳史

 太平洋戦争中、妻や幼い子どもたちに、戦地から絵手紙を送り続けた陸軍兵士がいた。家族を心配させないよう過酷な軍隊生活をおくびにも出さず、明るくユーモアたっぷりに描いた数々の絵からは、生き抜いて再び家族と幸せな暮らしを送りたいという願いがにじむ。兵士の孫、伊藤博文さん(51)=福岡市早良区=が所有する絵手紙を公開する企画展が8月1日~同30日、嘉麻市の碓井平和祈念館で開かれる。

 兵士は福岡市博多区中洲中島町でちょうちん店を営んでいた半次さん。1941年、生後半年だった博文さんの父、故允博(よしひろ)さんら家族と別れ、旧満州国(中国東北部)へと出征。沖縄へと転戦し32歳で戦死した。

 半次さんが出征先から家族に宛てた便りは400通に及ぶ。ちょうちん職人として腕を磨くため、日本画を学んだ半次さんは、その特技を生かして絵手紙をしたため続けた。

 戦地の兵士を励ましたのが、家族から送られてくる慰問品。福岡の郷土料理「ぎすけ煮」や雑誌が満州の部隊に届き、両手に品を掲げる絵手紙=写真(1)=には「(戦友と)甘い物も少しずつ分け合って お互いに喜んでいる」。この2週間後の42年6月の絵手紙=写真(2)=には、着物姿の妻が幼子と一緒に、慰問袋に品々を詰める様子が描かれている。

 「この慰問袋へ入ったらお父チャンの処へ行けるの 僕お父チャンの戦争シテルの見たいな」

 戦地からの手紙は、反戦的な内容がないか、軍が検閲をしていた。博文さんは「自分も子どもたちに会いたくてたまらないという、素直な気持ちをこの絵に込めたと思う」。ただ、絵には子どもが戦場を見たいという戦意高揚の文章を添えている。こうして、絵手紙は検閲を通過した。

 日本と満州の子どもが握手する絵手紙=写真(3)=もある。幼い允博さんの兄に宛てたもので、自宅から送られてきた写真を見て、姉と弟と「ナカヨクアソビマシタネ」とカタカナで書かれている。

 日本が実権を握った満州国では、かいらい政権の印象を薄める狙いから5民族の「五族協和」を建国理念とし、この言葉をプロパガンダに使った。博文さんは「祖父には、政治的な主張をする手紙はなく、子どもたちが和やかに過ごしてほしいとの思いを表したのだと思う」と話す。

 所属する連隊が沖縄に移ってから届いた手紙はわずか3通。それも、絵手紙ではなく、既製の絵はがきを使っていた。沖縄の守備についたのは米軍が那覇などを大規模に攻撃した44年10月10日の空襲直後だった。

 手紙は翌11月を最後に途絶えた。上陸してきた米軍を相手に戦死する半年前のことだ。軍艦の絵が印刷された手紙に「コノツギワ ナンノエヲオクリマセウカネ マッテイテチョーダイ」と允博さんに記す。

 博文さんは「手紙を出しても船が米軍の攻撃を受けて届かなかったり、陣地の構築が急務になり手紙を書く暇がなかったりしたのでしょう」と、便りが極端に少ないわけを推測する。

 同館の青山英子学芸員は「当時の雰囲気をありありと伝える絵手紙を読み、兵士と家族が体験した戦争をいろんな側面から感じとってみてください」と話す。

 半次さんが使った筆などの道具を含め約60点展示。入場無料。月、火、第4木曜日休館(8月10日の月曜祝日は開館)。博文さんは学校や地域などで幅広く平和の大切さを伝える講演活動をしている。 (下村佳史)

福岡県の天気予報

PR

福岡 アクセスランキング

PR

注目のテーマ