あの日、何を報じたか1945/7/28【早くも増産の黒煙 新手の暴爆はね返し 揺るがぬ大牟田】西日本新聞の紙面から

西日本新聞 福間 慎一

 〈醜翼B29六十機は二十七日未明またも大牟田市に来襲、暴爆を行った。この日早くも敵機の蠢動を察知して二十六日午後十一時六分、夜のしじまを破って警戒警報のサイレンが咆哮し市民の夢路を破った〉

 見出しにある〈新手の暴爆〉とは何だったのか。記事には〈エレクトロンを主として大型小型の油脂、黄燐の各種焼夷弾のほかに爆弾をも混用した新手の暴爆である〉とある。高温を発する「エレクトロン」や自然発火する黄燐を用いた型の焼夷弾などが用いられたことが特筆されており、別記事では〈黄燐は削り取れ エレクトロンまず濡筵(※ぬれたむしろ)か砂、水だ〉の見出しで対応策を紹介している。

 福岡県大牟田市は、工業都市として大戦末期に5回もの空襲を受けた。1945年7月27日未明の3回目の空襲は最も大きな規模だった。

 しかし記事にはやはり、甚大な被害の記述はない。〈工場、重要施設の被害を軽微にとどめ民家の被害も最小限度に食いとどめることができたのであった。かくて火災も大体午前三時ごろまでに鎮火し、やがて(夜が)明くれば林立する工場街の煙突からはいつもに変わらぬ黒煙が立ち上り、戦力増強の中枢たる生産工場を敵機の暴爆から死守した工場防空陣の涙ぐましい敢闘に高らかな凱歌が上がった〉

 しかしその横には〈壕のえんがい(※覆い)は頑丈に 血の戦訓〉という見出しの記事があり、こう表現している。〈大牟田市に対する今度の爆撃ぶりは従前のそれと比べると、さらに悪虐さを増した攻撃であった〉。防空の「成功」を強調しつつも〈エレクトロン棒は鉄板をも貫いて落下している(中略)待避壕の掩蓋も相当厚く頑丈にする必要があるのではあるまいか〉〈負傷者の中に大腿部や臀部(でんぶ)、腹部などの肉をえぐり取られているのは明らかにこれら(※爆弾)の破片によるしょうである〉

 赤痢がまん延する環境下でもあった。23日の紙面で防疫について本紙に語った福岡県の杉野衛生課長らが現地入りしたとの記述もある。

 大牟田の苦しみはまだ続いた。この後、終戦までにさらに2回もの空襲に遭う。(福間慎一)

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