長崎に「新型爆弾」が落ちた日【軍国少年日記】

西日本新聞

八月九日(木)晴

 工場についてから、警報が何度もあったので、一度がっこう待避し、一度外での待避をし、ちゃうど正午だったので、松尾君の家でべんとうを食べた。工場待避二度。

 作業は荒運搬。

 今日は警報があまりでたので、作業はほとんどしなかった。

 二十一時警戒警報

 二十二時警戒警報

 一時四十分空襲警報

 六時五十分警戒警報

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 【注釈】長崎原爆…1945(昭和20)年8月9日午前11時2分、B29ボックスカー号が長崎市上空でプルトニウム型原爆「ファットマン」を投下。市の人口24万人のうち約7万4千人が死亡したとされる。第1投下目標は小倉市(現北九州市)だったが、視界が悪く、第2目標の長崎市に投下された。

 翌10日の西日本新聞は「長崎市に新型爆弾」との見出しで、西部軍管区司令部発表を引用し、6日の広島原爆では使用しなかった表現で「新型爆弾」と伝えた。しかし、「被害は僅少の見込み」としている。

 記事は「一、八月九日午前十一時頃、敵大型二機は長崎市に侵入し新型爆弾らしきものを使用せり 二、詳細目下調査中なるも被害は比較的僅少なる見込み」と記述。

 一方で「新型爆弾に厳戒を要す」の見出しで「六日広島市に対して使用したものとほぼ同種類と判断される」「今後敵がいかなる方面に向かってこの種攻撃をなすか予断を許さず厳重警戒が肝要である」と書かれており、被害の大きさを推測させる。

 また、11日の紙面では「瞬時にして多数の市民を殺傷し、市の大半を壊滅せしめた」「毒ガスをはるかにりょうがする非人道的兵器」として、日本政府が米国に抗議したとの内容を掲載。初めて被害の実態が読み取れる記事となっている。

 当時、久留米市にいた竹村さんの日記には原爆の記述はなく、本人にも記憶はない。しかし、柳川市の中学伝習館に通っていた松石安兵衛さんは原爆のせんこうを感じて、学校の武道場の陰に隠れたという。少し時間がたってから爆風も体感しており「天変地異が起こる」と思ったことを覚えているそうだ

 ※福岡県久留米市出身の竹村逸彦さん(89)が14歳だった1945年に書いた「軍国少年日記」を、できるだけ原文のまま掲載しています

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