中村八大編<473>多彩な音楽に触れ

西日本新聞 夕刊 田代 俊一郎

 大ヒットした歌謡曲「星の流れに」は1947年に発売された。作曲は利根一郎である。その利根が率いる九州北部の巡業団に、旧制明善中(現明善高校)3年の中村八大も顔を見せている。中村は「とても珍しい体験」と書いている。

 この一行は好景気にわく炭鉱慰問で、利根のほかに人気歌手の小畑実なども参加した豪華メンバーだった。

 「遊びに来ないか」 

 中村の兄、二大が誘った。二大は早稲田大学に通い、クラリネット奏者としてアルバイトをしていた。兄と一緒の旅回りの中で、中村も時折、ピアノを弾く場面もあった。本紙へ寄稿文の中でこのように振り返っている。

 「歌い手と観客の交流が見事でとても楽しい毎日だった」

   ×    × 

 中村の旧制中学の久留米時代はその後の音楽世界につながる多様な体験をしている。

 3日間にわたる学校の文化祭はクラシックコンサートで始まった。中村はベートベンのソナタ「熱情」を弾いた。2日目は演劇の日。中村は舞台の陰で、劇の場面を即興で弾き続けた。3日目はのど自慢大会。すべての出場者の歌の伴奏をした。

 校外では進駐軍用のクラブから流れるサックスの音を塀の上に乗り、聴いた。作曲家、ジョージ・ガーシュウィンの伝記映画「アメリカ交響楽」を10回以上も観た。「ピアニストが足りないから」と請われたブリヂストンの軽音楽団では毎日のようにタンゴを演奏した。

 このような様々なエピソードが収斂(しゅうれん)していくのは、中村の非凡さである。その象徴的な逸話がある。中村の長男の力丸は隣同士で1級上の親友だった本間四郎から耳にした。

 中村は明善時代に九州地区のピアノコンクールに応募したことがある。リストの難易度の高いと思われる曲を弾いた。審査員は「条件に合わない」といった趣旨の批評をした。

 「未熟な若造が弾くような楽曲ではなく、このコンテストにふさわしくない」

 本間は「八ちゃん(八大)はがっかりしていた」と力丸に語っている。

 クラシック、ポピュラー、歌謡曲、タンゴ、ジャズ…。多彩な音楽、そして人に触れている。中村はこう記している。

 「音楽とは一言でいっても、外来クラシックから純日本調民謡まで数限りなくある音楽のどれもが、決して観客と遊離すべきものではないんだな、と子供心ながら深く身に感じた」

 =敬省略

  (田代俊一郎)

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