平野啓一郎 「本心」 連載第316回 第九章 本心

西日本新聞 文化面

「いいお店ですね。よく来るんですか?」

「いいえ、初めてです。ネットで探しました。でも、まだ食べてないので、わかりません。」

 座りながら、彼女は微笑した。

 メニューは、メインを選べるランチコースか、パスタコースだけで、僕はポークのソテーを、彼女はメカジキのグリルを選び、二人で炭酸水を一本注文した。

 お礼にと誘われたランチだったが、支払いのことはあとで話し合うつもりだった。

 ウェイトレスが下がると、ティリは、小さく深呼吸をして僕を見た。そして、すぐに目を逸(そ)らし、改めて顔を上げた。

「元気でした?」

「はい。朔也(さくや)さんは元気でしたか?」

「ええ、……はい。」

 僕たちは、このところの天候のことをしばらく喋(しゃべ)って、今日の陽気を喜んだ。それから、皿が出てくる前に、僕は、持参した書類を取り出した。

「これ、前に話した学校の説明なんですけど。」

 僕は、何度かやりとりする中で、彼女にもう一度、日本語を勉強し直してはどうかと提案していた。彼女の生活を向上させるためには、それは避けることが出来なかった。

 ティリは、「そうですね。……」と曖昧に頷(うなず)いて躊躇(ためら)っていたが、妹についても尋ねると、「妹は、勉強させてあげたいです。」と言った。

「だったら、一緒に勉強してはどうですか?」

「そうですね、……出来れば。お金が心配ですけど。」

 僕は、日本に住んでいながら、言語の習得が不十分な外国人の子供たちに、日本語を再教育する「羽ばたきの会」というNPO法人に、ティリのケースについて相談していた。成人は対象外にしていたが、以前から問い合わせも多いので、検討したい、一度見学に来てほしいとのことだった。必要があれば、その場で面接もする、と。

 持参したのは、その案内で、難しそうな箇所は、手書きで説明を加えていた。

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

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