戦後の“ラブレター屋”存在した 「I miss you…」米兵に届けた思い

 本紙長崎県版の記者コラム「あらかぶ」に「戦後の佐世保に『ラブレター屋』という稼業があったと聞いたが、確認できず記事化を見送った」と書いたところ、佐世保支局に読者から関連情報が寄せられた。佐世保で出会った米国人男性と日本人女性を手紙で結んだ人たちは、確かに存在していた。

 「ラブレター屋」は、佐世保に駐留した米軍関係者に宛てた日本人女性の手紙を英語に翻訳していた。コラムを掲載した22日、高齢の男性から「商売ではないけれど、頼まれてラブレターをいくつも書いた」と電話をいただいた。

 セントラルホテル佐世保の元支配人、田中暁(さとる)さん(92)=佐世保市黒髪町。戦後、田中さんの叔母が市役所近くで米兵相手の接客業を営んでいた。英語ができた田中さんは叔母に頼まれ、女性従業員が書いた手紙を英訳し、米兵に送っていたという。

 時代は1950年代の朝鮮戦争の真っただ中。「米兵はドル紙幣をポケットからあふれんばかりに持っていて、叔母の店もドルで会計ができた」。ラブレターは「100通以上書いた。お礼に1通5ドルもらったことがある。1ドル360円の頃です」と回想した。

 よく書いた言葉は「I miss you(あなたがいなくて寂しい)」だったと記憶している。宛先は米国本土が多かった。

 田中さんは神奈川県横須賀市生まれ。海軍兵の父は転勤が多く、疎開先の岡山県で終戦を迎えた。戦後は小学生の時に1年ほど海軍官舎で過ごした佐世保で暮らす。米海軍佐世保基地から払い下げを受けた鉄くずの販売、衣料品問屋の仕事を経て、ホテルで70歳近くまで勤めた。

 ラブレターを代筆していた時代は遠くなったが、懐かしそうに語ってくれた。「叔母の接客業の女性も含め、当時の人は戦後何もないところから精いっぱい生きていた。あの時代を知っている者が伝えないと」

 田中さんのほかにも、佐世保市の女性から「子どもの頃、三ケ町商店街で青いきれいな荷車に2人が座っていて、そこでラブレターを書く商売をしていたのを覚えている」などの証言が届いた。 (竹中謙輔)

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