平野啓一郎 「本心」 連載第317回 第九章 本心

西日本新聞 文化面

「すごいですね。……朔也(さくや)さんが書いてくれたんですか。」

「ああ、ええ。」

「はい、これだったら、わかりやすいです。」

 ティリは、印刷された文章を少し読んで言った。

「妹さんやご両親とも、よく話し合ってみてください。」

「はい、お父さんのユニオンの人も、この学校のこと、知ってました。」

「あ、本当ですか?」

「はい、いい学校だと言ってました。」

「良かった。見学して気に入らなければ、別の場所を探してもいいですし。調べてみた限りでは、ここが一番、評判が良さそうでした。応対してくれた代表の方も親切でした。」

 前菜のサラダが来たので、細かな説明は、一旦(いったん)後回しになった。

 僕は、NPOの代表に連絡を取った際、併せて、僕自身もインターンとして働きたいという希望を伝えていた。女性の代表は、意外そうな反応だったが、福祉への僕の関心を、母子家庭という自分の境遇と併せて説明すると、

「そうですよ、日本人対外国人の問題じゃなくて、社会の格差の問題ですから、これは。」

 と溌剌(はつらつ)とした声で言われた。僕は、その声の響きに打たれ、自分は、こういう人たちと関わりながら生きていくべきなのだと感じた。他でもなく、僕自身が変わるためにも。

 イフィーとの仕事の準備として、僕は慈善事業について調べ始めていたが、すぐに、自分が、今のままではほとんど役に立たないことを痛感させられた。福祉についての基本的な理解も、財政的な知識もなく、実務経験も欠いていた。

 僕は初めて、自分が本当にしたいと思っていることのために、高校を中退してしまったことを後悔した。そして、大学で福祉について学ぶための貯金を始め、昨日、予備校のオンライン講座の申し込みをしたところだった。

 そのためには、イフィーとの仕事も辞めざるを得なかった。明日、僕はそのことを彼に伝えるつもりだった。いつか彼と、対等な立場で、改めて一緒に仕事をするために。

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

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