生きる礎に…食育と防災の拠点 「日頃から培う」元市職員の奮闘

西日本新聞 くらし面 佐藤 弘

 毎年のように全国各地で経験したことのないような災害が起きる中、大分県佐伯市に来月1日、民間による食育と防災の拠点がオープンする。地元に食育を根付かせようと奮闘し、東北などの被災地に学んだ市の職員が早期退職して始める取り組みだ。

 「子どもが邪魔で遊べない。だれか子どももらってくれんかな!」「公営住宅の台所、全然使わないから家賃、負けてよ」-。25歳で弥生町役場(現佐伯市)に就職し、福祉担当になった柴田真佑さん(52)を待っていたのは、そうした若い親たちへの対応だった。

 食うや食わずの子どもたちの姿に同情し、そっと食べ物を届けたことも。するとその話を聞いた別の親が「そんなサービスがあるならうちも」と町に電話。上司にこっぴどく怒られた。

 2005年、1市5町3村の合併で、九州一広い自治体となった新佐伯市の地域づくり担当に。その時、たまたま聞いた小学校の食育研修会で「子どもが作る“弁当の日”」を知り、衝撃を受けた。

 あのひもじい子たちだって自力で食事を作ることができるようになるに違いない。子どもが食事作りを体験することで、食を作る人や食材への感謝の念など、人としてのまっとうな価値観も育めると考えた。

 だが思いだけで走りだしても、人事異動があるし、新しい市域は広くて市民への浸透には工夫が要る。そこで旧市町村単位で計40回超の食育講演会を企画。「食のまちづくり条例」制定や市の総合計画に“弁当の日”的な活動を盛り込むなど、重要施策に位置づけられるよう奔走した。

集落冠水の経験も

 そして11年3月、東日本大震災が発生。被災地の宮城県石巻市に派遣された柴田さんは、西嶋泰義市長(当時)に、こう報告した。

 「支援とともに、佐伯でもすぐに災害への備えを進めてください」。豊後水道沿いの地形は三陸と同様のリアス海岸。四国沖で南海トラフ地震が発生したら、同様の壊滅的被害に遭うのは必至だと思ったからだ。

 公務とは別に、東北へは地元の消防団仲間などと三十数回通った。避難所や仮設住宅で支援活動に携わる中で、「生きる力を身に付ける食育と防災には、命を懸ける価値がある」という思いが確信に変わった。

 17年9月には、自身も被災した。台風18号によって発生した局地的豪雨で、自宅のある弥生地区の集落が水浸しになったのだ。

 1級河川の番匠川と、支流の井崎川などが合流する場所にある同地区。元々浸水しやすい土地だと認識はしていたが、この時の雨は桁違い。集落は冠水し、尺間山からの大量の流木で橋も流失。消防団員の柴田さんも水に漬かりながら高齢者を救出し、水が引いた後の片付けに当たった。

民がモデルつくる

 何十年に一度の災害じゃない。大雨や地震の危機と絶えず背中合わせの時代に入ったのではないか-。あるときは行政マン、あるときは一市民として食育と防災に関わった体験から「行政の動きとは別に、地元の安全な場所に、民間で小回りの効く防災時の拠点を兼ねた食育の場を持ちたい」との思いが膨らんだ。

 まず「民」が先行してモデルをつくり、それを「公」が応援する。それを実現するため今年3月で退職。自ら代表となり、コミュニティ食堂「志縁や」を立ち上げることにした。運営を手伝うのは、ともに食育や被災地支援事業などを手がけてきた仲間20人でつくる「暮らしつなぎ隊」だ。

 拠点となるのは、国道10号沿いの元食堂。正面にある道の駅やよいと同様、高台にあるため水害の心配はない。建物は築40年といささか古いが、手直しすれば道の駅と連動し、被災時の炊き出しもできる。

 運営資金は、テークアウトのアイスクリームや飲み物、そして朝食の提供で賄う考え。それと併せて食堂の調理場を活用し、地域の子どもが、自分でおにぎりを結んで食べるような「子どもが作る子ども食堂」を開設する。

 目指すは、営業利益を公のために使う「栄光」ならぬ「営公」への道。「乾パンやレトルト食品などの物資だけが備えじゃない。助け合いの心や暮らし力など生きるための日頃の備えこそが最大の対策」と語る柴田さんである。 (佐藤弘)

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