母の機転「2枚重ねの畳が命守った」 荒木駅空襲伝える銃弾 久留米市

西日本新聞 筑後版 山口 新太郎

 福岡県久留米市の久留米文化財収蔵館に保管されている1発の銃弾。許可を得て手に取ると、ずしりと重く、鈍い光を放っている。75年前の荒木駅空襲で幼子の生命を危険にさらし、母親の機転で九死に一生を得た秘話をいまに伝える。

 終戦直前の1945年8月8日昼前、当時の国鉄荒木駅の上空に米軍戦闘機が飛来し、上り列車や駅への機銃掃射を執拗に繰り返した。被害の詳細は不明だが、「旅客22人が重軽傷」(国鉄)「死傷者44人」(九州医学専門学校)との記録が残る。

 銃弾は駅そばの借家で暮らしていた男性(76)が2015年に市に寄贈した。家には空襲当時1歳だった男性と4歳の姉、母親(故人)がいた。

 男性は「銃撃の音に気づいた母は、慌てて畳をはがし2枚を立てかけ、私と姉を守ったそうだ」と語る。家の中に飛び込んできた弾は畳に命中して1枚目を貫通し、2枚目で止まった。

 弾を確認した市文化財保護課の小沢太郎さん(51)によると、12・7ミリ曳光弾で「変形はわずか。柔らかい畳でとどまったことを裏付けている」という。

 男性によると母親が生前、空襲の話をしたのは数回だけ。「近所の人も亡くなったはずだが積極的に語ることはなかった」。母親は戦争映画がテレビで流れるのを嫌がった。

 男性は家の引き出しに保管されていた銃弾の存在を気にとめていなかった。2013年、荒木駅空襲の場面を捉えた映像が見つかったニュースを目にし、空襲を詳しく知りたいと思うようになったという。「1歳で当時の記憶はなく、想像するしかない。母親にもっと聞いておけばよかったと今になって思う」。男性はそう悔やんだ。

(山口新太郎)

福岡県の天気予報

PR

福岡 アクセスランキング

PR

注目のテーマ