終戦前夜のすき焼き

西日本新聞 オピニオン面 上別府 保慶

 食通で知られた作家の谷崎潤一郎について、妻の松子は「蘆辺(あしべ)の夢」(中央公論社)にこんな回想をつづっている。

 谷崎は家族や友人とすき焼きを囲む時にまず、ぐつぐつ煮える鍋の中心を「ここは僕の領分、旗を立てて置きますよ」と箸で制する。そして誰もがあっけに取られる中で「見事な食べっぷり」を見せるのだった。

 とはいえこれは戦後の話。戦時中、岡山県津山市に疎開していた時は、世間と同じく食べ物に困り「たいへんみじめな思い」をしたそうだ。知り合いがくれた卵2個を、松子が別の客の昼食に出したら、谷崎は「勝手なことをするな」とひどく叱り「食物のうらみは恐(こわ)いぞ」とまで言った。

 津山から山あいの勝山(今の真庭市)へ移ってからは食料はいくらか手に入りやすくなり、食い意地の人である谷崎は自らかごを提げて買い物に出た。

 その勝山へ、谷崎が敬愛する永井荷風が訪ねてきたのは、広島と長崎へ原爆が投下された後の1945年8月13日のことだった。岡山でも隣県の広島に「新型爆弾」が落ちたことは知られ、人々は次はどこかと戦々恐々としていた。

 荷風には欧米での生活経験があり、この戦争にははなから悲観的で、日記の「断腸亭日乗(だんちょうていにちじょう)」に軍の批判を書いた。食料統制も憎み、羊羹(ようかん)をもらった日などは「甘き物くれる人ほどありがたきはなし」と記した。荷風は東京大空襲で家を焼かれ、友人を頼って岡山市まで疎開してきた。

 谷崎もまた戦争を憎んだ。雑誌に連載した「細雪(ささめゆき)」は、軍から時局に合わぬと止められ、疎開先ではひそかに続きを書いていた。谷崎は荷風から見いだされて文壇へ出ただけに、荷風にはひとかたならぬ恩義を感じていた。そこで思いついたのが、戦時ではまさに夢に等しい、すき焼きの歓待だったのである。

 8月14日、谷崎は牛肉1貫(約3・75キロ)を200円で買った。当時の都市銀行の大卒初任給が80円だから、この時とばかり散財したことになる。清酒2升は地元の造り酒屋で求めた。

 食べ物のことをいろいろと日記に残した荷風だが、この夜の貴重な肉の味には触れていない。谷崎の美しい妻松子が杯を重ねて話が弾んだことのみを記した。谷崎もその「疎開日記」では夜の9時半ごろまで語ったことだけを書いている。

 おそらくは国を焦土にした者どもへの怒りも言ったろうが、誰かに日記を読まれて迷惑をかけぬよう、伏せたのかもしれない。

 2人は翌日に勝山の駅で別れ、それぞれに敗戦の報を聞く。自由にものが言える平和の訪れだ。岡山市へ戻った荷風はその晩、鶏肉とぶどう酒で祝っている。

 (特別編集委員・上別府保慶)

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