命と引き換えの「名誉」 将兵に授けられた二つの勲章

西日本新聞 筑豊版

モノが語る戦争 嘉麻市碓井平和祈念館から(14)

 弓にとまった金色の鵄(とび)をあしらった金鵄(きんし)勲章は、戦闘で特に優れた働きをした将兵に授けられる。神武天皇の交戦中に金鵄が現れ勝利に導いたという故事により1890(明治23)年に定められ、階級により功一級から功七級まである。部隊の武功をたたえて贈られる感状とともに将兵には大変な名誉だった。

 写真の金鵄勲章と感状は、日中戦争に従軍し、中国北部で1940(昭和15)年に戦死した陸軍上等兵、瓜生廣(福岡県嘉麻市出身)に与えられたものである。叙勲の詔書や感状から、4月に始まった晋南作戦で敵陣を攻略し次々と進撃する中、4月23日の陽城占領で戦死したと思われる。「北支(ほくし)山西省陽城県石岩嶺二於(おい)テ戦死」と記した肖像写真も残っている。遺族には、天皇・皇后両陛下から香典にあたる祭粢(さいし)料も下賜された。

 通信兵だった瓜生が家族に送った郵便が2通残されている。1通は無線班になったことを知らせ、「飯のおかずが悪くて、馬肥ゆる秋に、僕はやせるばかり」などと書かれた朝鮮大邱からの穏やかな手紙である。しかし、戦死する3カ月前の40年1月に送られた書簡には、戦闘の模様が中断しながらつづられている。

 「初めて弾丸の下で電鍵(でんけん)をたたきました。通信士の耳にあるレシーバから聞く命令で大部隊を左右するかと想うと今更僕の役目の重大さに驚きます。(中略)此方(こちら)へ向けて撃って来る弾が耳の処(ところ)をかすめる。五、六寸前の麦畑を砂ほこりを立てて落ちる。俺の命も五、六寸で決まるのかと想うと心細い様で、再び走る。弾が来る、臥(ふ)せる、起きて進む、伏せる、倒れる。同じ事を数回繰返(くりかえ)してトーチカへ肉薄するのだが、敵が逃出(にげだ)す。愈々(いよいよ)追撃戦、散って走る敵を撃つ、撃つ。肩が傷(いた)くなる程(ほど)銃を撃つ」

 瓜生が命と引き換えに得たものは、二つの勲章と年金百五十円であった。父は、息子の為に大きな墓を建てた。上山田の実家の2階の窓からは墓石に付けられた陸軍の星章がきらきらと輝いて見えたという。戦後墓地は整理され、今はその墓も残っていない。

(嘉麻市碓井平和祈念館学芸員 青山英子)

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 嘉麻市碓井平和祈念館が収蔵する戦争資料を学芸員の青山英子さんが紹介します。

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