「平和への誓い」にぶちまけた怒り 原爆を背負って(47)

西日本新聞

 垂直に高く掲げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っている-。郷土出身の彫刻家、北村西望氏が1955年に造った平和祈念像には、そんな意味が込められているそうです。

 当時、観光客誘致に力を入れ始めていた長崎市は、爆心地周辺に残る被爆の痕跡を次々に取り除いていきました。きれいになった原子野に立つたいそうな像は「忌まわしい物は取り去ってしまえ」と言っているように思えた。3千万円の巨費を投じて造られたこの像が、何の援護も受けられなかった被爆者の反感を買ったことは既に話しました。北村さんには悪いが、私も同じ。祈念像には何の思い入れもありません。

 この像の前で毎年夏、平和祈念式典が開かれています。私は74年になって初めて出席しました。市から頼まれ、被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げたんです。正直、最初は断ろうと思いました。恒例行事化した式典には、被爆者の心がないと考えていたからです。

1974年8月9日、初めて参加した平和祈念式典で、怒りと決意をぶちまけました=黒崎晴生さん撮影

 引き受けたのには理由があった。核保有国の核実験は続き、この年の5月には新たにインドが核兵器を持ち、核拡散が問題になっていました。しかし、日本政府の対応は生ぬるかった。非核三原則も法制化しようとせず、それどころか核開発の準備を進めているという話もあった。何も知らずに眠っている犠牲者に、この現実に立ち向かう決意を示さねばと思ったんです。誓いの文は自分で考えていいことになっていました。

 あの日のような暑さの中、静まりかえった式典で怒りをぶちまけました。「私たちは世界に核兵器の脅威を訴えるとともに、日本政府が率先して国連の場で核兵器完全禁止協定を実現させるように、骨身を惜しまず努力することを犠牲者の皆さんの前で誓います」

 悔しいことに、政府はあのときから何も変わっていない。今春、欧州であった核拡散防止条約再検討会議の準備委員会で、南アフリカなどが提案し、70カ国以上が賛同した「核兵器の人道的影響に関する共同声明」に、日本は加わらなかった。米国が提供する「核の傘」への影響を懸念したのが理由らしい。なぜ唯一の被爆国として、核廃絶のためにリーダーシップを取れないのか。憤りを禁じ得ません。(聞き手 久知邦)

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 「原爆を背負って」の英訳版「THE ATOMIC BOMB ON MY BACK」が米国で発行されました。同国で自費出版する日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は初版500部の発行に必要な資金70万円をクラウドファンディングで募りました。

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